寒川神社に行ってきました 4【終】
寒川神社の裏側にある、寒川神社でお祓いし、清められた人しか入れない神嶽山神苑。
前回途中まで書きました。
茶屋 和楽亭でお茶してから、苑内にある、方徳資料館に行きました。
ここには、「八方除」についての資料が展示されていて、神社の歴史や八方除信仰の歴史を学ぶことができます。
入り口には、神社横にあった渾天儀のミニチュア版のようなものが置いてありました。
かっこいいですよね。
使うことはできないけど、インテリアに欲しいくらいです。
室内に入ると目の前に現れるのが、
平安時代のジオラマの上に、渾天儀、天井には星座。
周りには四神と、各方位の神獣か何か?
とても神秘的でした。
帰宅してから、館内が撮影禁止と書いてあるプログがありましたが、撮影禁止の看板が見当たらず、館内の係の人も写真を撮っていても何も言わなかったので、撮影させていただきました。
でも、展示物は撮影しませんでした。
古い時代のさまざまな暦などがあり、興味深かったです。
さて、資料館を出て、庭を見ながらすこしベンチに座って、しばしゆっくりしました。
池をぐるりと周り、出口に向かいます。
木漏れ日が気持ちがいいです。
木々の向こうに、本殿が見えます。
なぜでしょう、撮った記憶がない木。
何なんでしょう。
しかも、この気を別アングルからもう一枚撮っているのです。
全く記憶がないけど、なんだか気になって、載せてみました。
さてこうして、寒川神社を出た後、そこに隣接する宮山神社に行きました。
宮山神社は、寒川神社の末社で、太鼓橋のすぐ西側にあります。
池の中の島にあり、江戸時代には「西の弁天」と呼ばれていたそうです。
宮山神社に白豆腐をお供えして祈ると、母乳に恵まれるといわれているそうですが、豆腐がお供えされてはいませんでした。
まあ、ここに豆腐をお供えしたら、あっという間に痛んで悪臭を放つかもしれません。
お供えして拝んだら、すぐに下げるのかもしれません。
安産、母子の健康、子の健やかな成長を願うだけでなく、家運隆昌、家内安全、無病息災、商売繁盛、五穀豊穣の神様として、宮山地区はもちろん、広く崇敬されている神社だそうです。
寒川神社の太鼓橋の道を挟んだところには、お寺があります。
高野山真言宗 霊信山 西善院
山号が、霊を信じる山とか…
このお寺、実は寒川神社の別当寺(神宮寺)の一つでした。
別当寺とは、江戸時代以前の、神仏習合時代、神社を管理していたお寺です。
明治維新の神仏分離令で神社から独立しました。寒川神社の別当寺は、西善院以外に薬王寺、神照寺、中之坊がありましたが、この時に廃絶しだそうです。
本尊は、木造阿弥陀如来坐像です。
総本山は高野山の金剛峯寺。
昨年7月に行った高野山を思い出して、なんだか嬉しくなりました。
こちらは、もと薬王院の本尊とのこと。
西善院は、廃絶した三ヶ寺の本尊や檀家を受け継いだそうです。
本堂の向かって右側には、握手大師
しっかり握手してきました。
向かって左には、弘法大師像
さすが高野山真言宗のお寺って感じです。
こうして、寒川神社を別当や末社含めて全て参拝。
帰りにはもちろん
八福餅〜♪
通常は、こし餡なのですが、今回は期間限定の抹茶餡
こんな感じ。
伊勢赤福に似た感じです。
が、6個入り一箱じゃ足りなかった。
皆で分けて、1個しか食べられなかったけど、
本当に美味しくて、もっと食べたかった😖
たった半日の参拝でしたが、4記事にもなってしまいました。
本当に見どころたくさんの寒川でした。
ちなみに、サムネ画像は、
入り口の太鼓橋の脇にあった神池の噴水です。
池の前には何やら…?
相模薪能 石橋?
相模薪能相は、毎年八月十五日の終戦記念日に寒川神社の御本殿で行われているものです。
戦禍に倒れた英霊と戦争犠牲者の御霊をお慰めし、世界の恒久平和を祈るためのもので、昭和四十五年から始まったそうです。
「石橋」とは、その演目の一つのようです。
相模薪能の後は、当代の名人たちが演じる能・狂言が捧げられるとのこと。
一度見てみたいものです。
これで寒川神社の記事は終わりです。
皆様も一度寒川神社、参拝してみてください。
今まで記事は、1に貼っておきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?