息をするように、noteを書きたい。
皆さんは、なにか習慣にしていることってありますか?
私は1年くらい前までは、毎日noteを書くことが習慣だったのですが、ここ半年くらいは胸を張って「習慣です!」とはいえないくらいにおサボりをしています。
いやあ、習慣を作るって、難しい。
というのも私、「自分は習慣化が得意だ!」と勘違いしていたのですが、なんか違うかも?と感じはじめまして。
私は努力は意外と苦手ではないので「耐え忍ぶ」「嫌でもやる」というのは頑張ればできちゃうんですが、これって習慣とちょっと違くない?って思うんです。
習慣って、毎日やるのが当たり前で、息をするようにごく自然に、なんとなくでもやれちゃうこと。そんなイメージ。
ダラダラとスマホを見るのだって毎日やってる立派な習慣だし、毎日着替えもせずに1日中パジャマで過ごしているなら、それも習慣。
まあ、大抵の人がそんな意識の低い習慣なんて身に付けたくないわけで、本を読む・日記を書く・運動する……とか、なんかちょっとイイ感じな習慣を身に付けたいはず。
毎日歯を磨くのと同じように、読書も日記も筋トレも「習慣」になってしまえば苦には感じないのであれば、そんな素敵な人生を送ってみたいものですよね。
だからこそ、世の中には「習慣」にまつわる本がわんさか売っているわけです。
というわけで、私も習慣にまつわる本を読みはじめました。
まだ全然、3分の1も読めていないのですが、その中でもすでに刺さった言葉がありまして。
目的とか、意味とか本当にどうでもいいんですよね。
とりあえずなんかやってみて、とりあえず続けてみる。
「これが将来なんの役に……」みたいなことを考えはじめると絶対続かないし、「人に評価されたい」とか思っちゃうと、それこそもうin the ドツボです。
じゃあ、私がなんとな〜くやりたいこと、「とりあえず習慣作るか〜!」って手に取りたいことってなにかなって考えたら、ひとつはやっぱりnoteでした。
私がnoteをサボり出した理由。
ライフスタイルが変わって、「書く」という習慣が崩れたことが1番の理由ですが、ライターとして「書く」を仕事にしたことも大きい気がします。
2年前、いしかわゆきさん著『#書く習慣』をきっかけにnoteをはじめたとき、まだライターでもなんでもなかった私にとって、noteを書くことに、なんの意味も目的もなかったんです。
「書く」に意味なんてなくて、ただやりたいからやっていた。
だからこそ、飽きもせず毎日毎日noteを書いていた。
もしかしたら最近は、こんなんでも一応ライターだし、ちゃんとした文章とか、人のためになる文章書かないとな〜〜って、どこかnoteにも書く意味や目的を探していたのかもしれません。
でも、noteは仕事じゃないし、意味がない文章でも役に立たない文章でも、全然オッケーなはずなんですよね。
特に意味とか目的とか考えずに息をしているように、意味も目的もなく、ただ私の一部としてnoteを書きたい。
今の気持ちを忘れずにいれれば(もしくはたまに思い出せれば)、書く習慣を取り戻せそうだなと思ったので、ここに残しておきます。
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