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努力が得意な私が、頑張っても一生できなさそうなこと。

自分でいうのもなんだけど、私はけっこう努力が得意だ。

中高生時代はテスト勉強をきちんとする学生だったので、成績はいつも学年上位だったし、当時から朝活は苦手だったのに、部活では誰よりも早く学校に行って朝練をしていた。

小学生のうちから英検に挑戦したり(今でこそ当たり前だが、当時は珍しかった)、分からないことは自力でネットで調べたり、負けず嫌いな性格も手伝ってか、「自分でなんでもできるようにする」は私の中では当たり前の感覚だった。

それは大人になった今も同じで、フリーランスのライター・写真家・音楽家……と複数の顔を持つ私は、けっこう色々なことができる。

もとが決して器用なタイプではないので、100点満点を取れるスキルはないものの、持ち前の努力を駆使してなんでも平均点くらいのレベルには持ち上げてきた。


そんな私だが、どんなに頑張っても一生習得できなさそうなことがある。

それが、営業。

私はきっと、一生営業ができない。
そのことに、昨晩気がついた。


年明けに、私は映像撮影・編集を得意とする夫とともに、映像制作ユニットを立ち上げた。

ライターとして「書く」を強みにする私がシナリオ・構成を担当し、夫が映像の撮影・編集をする。

「商品・サービスのスペックをではなく、その先に待つ『体験』を語ろう」をテーマにしており、コンセプトはなかなか悪くないのでは?と思う。

ただ、ひとつ大きな問題がある。
私も夫も、営業ができないのだ。

「せっかくユニットを作ったけど、ここからどうしようね」と話し合っていたところ、夫が意外なことを言い出したのだ。


「俺、もう少し準備が整えば、営業のメールとか電話くらいはやるよ」


え、マジで???
じゃあその「準備」ってなんなの?と尋ねると、主に撮影機材が足りないことが問題だという。

今の手持ち機材でも撮れないことはないが、胸を張って「いいもの作ります!」というためには、買い足したい機材が複数あると。

それが揃えば、彼にとって営業のハードルはぐんと下がるものらしい。


えー、そんなもんなのか。

じゃあ、私はどう?
なにがネックで「うちのサービス使ってください!」ができないんだろう?

夫のいうように、申し分のない種類・スペックの機材が揃えばいけるだろうか。
それとも、私がライターとしてもっともっと腕を磨き、有名になればできるだろうか。

色々考えてみたけど、私がどれほどものを揃えようと、シゴデキのバリキャリとして売れようと、営業をする自分だけはまったく想像ができなかった。

というか、想像しようとするだけで胃のあたりがムカムカするような、変な緊張感が走るのだ。


あ、私、多分一生無理だ。


今でもライターとして仕事をするうえで、企業に取材アポや許可取りの連絡をするなど、いわゆる「営業」チックなことをやる機会がある。

これだけは何回やっても慣れなくて、いつも電話をかける前はうっすらと体調が悪いし、話しはじめると噛みまくるし、「うち、そういうのやってないんで」と冷たく断られると、心臓がバクバクして涙が出そうになる。

仕事だと割り切っても、どうしてもそのハードルだけは越えられないし、今後も多分同じだ。

昔から「コレやってくれる人〜?」という募集に対して「私がやります!」「やらせてください!」と率先して手を挙げることは容易いものの、呼ばれてもいないのに門を叩くのは、どうしても私にはできないのだ。

そういえば複業フリーランスとして活動をはじめたばかり頃、営業に関する本を読んだこともあるけど「いや、無理すぎる」と、そっと閉じてしまったこともあった。

映像制作ユニットの件はともかく、今の私は会社も辞めてしまって、今後もフリーランスとして生きていくには、これはあまりにも致命的すぎるのではないか????


私は、営業ができない。
多分この先、どんなに努力してもずっと。

ガンガン営業をかけられる人は、本当にすごいと尊敬する。


ただ、ここまでで考えてきたのはあくまでも「プッシュ型営業」だ。
誰かから「みきてぃさん、お願いできませんか?」と声をかけてもらう「プル型営業」なら、まだ望みがあるかもしれない。

「私を使ってください!」と売り込む「プッシュ型営業」ができないのであれば、誰かに私を見つけてもらう「プル型営業」に振り切るしかない。

とすれば、私はほかの人よりも「できることを示す」「やってきたことを残す」という発信を、決して怠ってはいけないな、と再認識した。

そんな気持ちを忘れないように、そっとnoteに残しておこう。

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