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いつか未来が見えなくなるときは思い出し歌うよ、


今までで一番悲しかったことは何?と聞かれて
三番目に悲しかったことを答えられるような人になりたい。

一番悲しかったことは、自分の心の中で一生をかけて昇華していく方法を探すことが正解だと思うから。


乗り換えを2回繰り返して毎日家路に着く。
会社から最寄りのバス停までも歩いて10分以上かかる。
仕事が溜まりすぎて遅くまで残業をしたあの日、後輩と20時すぎに会社を出た。
タクシーに乗って駅まで行こうかと言いながら歩いていたらバス停に3台も続けてバスが来た。
「ああ、あれ乗りたいな…」そうわたしが呟いた瞬間にわたしたちは走り出した。それはもう50メートル走のタイムを競うように全力疾走で。
息切れしながらバスに乗って、そのあとはビールが飲みたい、餃子食べたい、ああラーメンでもいいな、でも焼肉も食べたいな、もう少しコロナが落ち着いたらまた飲みに行きたいねと話しながら駅までバスに揺られた。


普通に生きる、ってなんだろうと思った。


いいことも悪いこともなくて、何にもない何の変哲もないそんな普通が続くことが実は一番の普通を感じていられるんだろうな、でもそのためには自分の感情のスイッチを無にすることも必要なのかなと、数日後にバスを降りる前に定期券をカバンの中から必死に探しながらふと思った。


もしかしたらあの夜全力疾走でバスを追いかけたこと、バスに揺られながら食べたいものや仕事の愚痴を話したこと、後輩がどうぞとチョコレートをくれたこと、そんなささやかなことが多分「普通に生きる」一部なのかもしれない。


そろそろわたしに出来ることが何一つないことに気づき始めてしまった。
基本的にわたしの代わりは誰にでもできて、わたしでなければいけないことはなんにも無いと思って生きている。
わたしが明日退職しても誰かが穴埋めでやってくるし、わたしではなくてもお客さんの対応は誰かが出来る。
カズレーザーが同じようなことをYouTubeで言っていて、見入ったことを思い出した。
そう、わたしでなければいけないことなんて、きっとない。
誰かに「そんなことないよ」と言って慰めてもらいたいわけでは全くなくて、なんとなく諸行無常の精神を取り込むことで少しは楽に生きていけるとわたし自身感じたからかもしれない。


それなのに、「あなたがいないと飲み会も寂しいよ」そう言ってもらえることに嬉しさを感じてしまうわたしはまだまだ孤独を愛しきれない
未熟者だと思う。


代わりがきかない人がいることも事実。
偉人と呼ばれる人は、きっとその人でなければ作り上げられなかった物や成果があるはずで、それは代わりのきかない尊い存在であることに間違いない。


生きていく意味を必死に探した日もあった。
喜びや嬉しさよりも辛さや苦しみの方が勝ってしまって「こんなに辛いのに、どうしてあと何年もある人生を生きなければいけないのだろう」と感じた日も両手で数えられないくらいある。


人は役割を担ったり、個性や成果を認められることで社会での居場所を探していく。
だから役職か肩書きを得ようともがいたり、足場がなくならないようにあざとくなったり、人の気をひいたり。
そうして、なんとか自分の居場所を作っていく。作れたら、次は壊されないように必死に守る。


でも本当は、自分にあるもので最強になれるように戦い続けるしか方法がないことも、もうよく理解しているからこそ、人はもがき続けるし、自分だけの答えを欲しがるんだろうと思う。



結局、悲しみは悲しみとして苦しさを苦しさとして我慢することなく自分の感情を受け止めて自覚して精算できることが全ての物事に対して自分が元気で明るくいることができる最大の方法なんだろうね。



だから、普通に生きたいと願ったところで、
日々変化する毎日の中で普通でずっと佇むことは難しくって、普通なんて無いのかもしれない。
唯一、思考を停止しないことだけが正しさであり、普通なのかもしれない。



ちょうど一年前の3月の記事に「来年の3月はとびっきり笑って過ごせますように」と書いていて、とびっきりではないけれど確実に去年の3月よりも感情面でも仕事面でも成長はしていることを実感できているし、ちゃんと笑えている。



時間の流れは本当に人の感情を救うと思う。


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