騙されて幸せだったおばあちゃんの話。【詐欺の思い出④】
わたしがバイトしていた喫茶店の周辺は、昔は活気のある商店街だったそうだ。
まだ営業しているのは、喫茶店から空き店舗を挟んで、ケーキを卸してくれる和菓子屋さん。その向かいにスナックと釣具屋さんくらいのもので、ほかのお店はほとんど閉店していた。
でも、そのまま住宅として暮らしているところが多かった。喫茶店の隣にも、もともと商店をやっていたというおばあちゃんが1人で住んでいる。
いつも玄関の前から道路あたりまでをホウキで掃いていて、たまたま顔を合わせたときは挨拶していたけれど、返ってくるのは挨拶ではなく「お宅の客がねぇ、ガムの包み紙捨ててたわ」とか、「換気扇からこげ臭いにおいがこっちまで流れてきてねぇ、布団干せないわ」などの嫌味か小言だった。
店長に伝えると機嫌が悪くなるので、わたしの心の中で処理しなければならない。
わたしは努めて友好的であろうとした。
植木鉢が出ていれば、「お花きれいですね〜!」と声をかけた。おばあちゃんは、悪口が多めだったけど、話せばわりとご機嫌なババアだった。
ある日、店の外に出ると、スーツの男性がおばあちゃんちに入って行った。
おばあちゃんはいつものドスのきいた声から2トーンほど上がった声で「あらあらあらぁ〜たいへんだったでしょ、上がりな〜!!」と歓迎していた。いくつになっても女子は乙女だ。
小一時間で「ありがとうございましたー!」と若い男性が元気よくバンに乗って帰っていくのだが、このへんでスーツ姿なんて保険屋か銀行員くらいのものなので、そのどちらでもなさそうなところが印象に残った。
それから、わたしがバイトのたびに結構な頻度でおばあちゃんちにその人が来ているのが見えたので、思い切って店長に訊ねてみると、意外な返答が返ってきた。
「あぁ、なんかねぇ、布団屋さんみたいよ」
布団屋さんとは??
わたしの実家でも、布団がぺちゃんこになったら打ち直しを頼む、というようなことはやっていたと思うが、数年に一度だし、いまいち分からなかった。
月に何度も、布団屋さんが何しに来るんだろう?
好奇心を抑えられず、バイト帰りにちょうどおばあちゃんが道路を掃いていたので、ここぞとばかりに探ってみた。
「最近いつも元気いい人来てますね〜、お孫さんですか?」
おばあちゃんは快く雑談に応じてくれた。
「あら孫じゃないよぉ~イケてるから気に入ったか!?」
おばあちゃん、あの人それほどイケメンではなかったよ。あとわたしはスーツ男子より作業服のほうが好きなんだ。
あ、そうなんですか~と、当たり障りのない返事をしていると、おばあちゃんはなぜかテンションが上がっていろいろと教えてくれた。
イケメンもどきは、羽毛布団のセールスマンだった。
年季の入ったカビや汚れは健康にも悪いし、超高級羽毛布団が半額で買えて、さらに冬に最適な、最新のナントカ技術を使った毛布や、ぽかぽか靴下やももひきなどがついてくる。
的なやつだった。
「へえー、いいやつは結構なお値段しそうですよね。わたしは1万円のマットレスでじゅうぶんです」などと言ってしまったせいで、おばあちゃんは、セールスマンが乗り移ったかのように、いかに安物がダメで健康が大切かを熱弁してきた。
「結構あのひと見かけますけど、お布団、そんなにたくさん買うんですか?」と訊くと、どうやら年末は親族が泊まりに来ることもあるし、いっぺんには買い換えられないから、臨時収入があったとき少しずつ買い替えているんだとか。
そのほかにも、イケメンもどきは、困ったことがあれば何でも言ってほしいと、障子戸の張替えを手伝ってくれたり、電球を替えてくれたり、味噌や米などの重いものを運んでくれるのだとおばあちゃんは自慢げだった。お茶しに来るだけのときもある、と。
孫のようにかわいがっているのかと思ったけれど、「若い頃好きだった人にちょっと似ている」的なことを言っていたので、やはり乙女だ。
親切なセールスマン。
うさんくさいけど、本人がいいならそれで……と納得しかけた。
気をよくしたおばあちゃんが、布団のカタログを持ってくるまでは。
たまに会うと雑談をしていたのだが、わたしへの好感度が少し上がったのか、ある日、いつものようにご近所や通行人の文句を言っていたおばあちゃんが、ふと思いついたように家へ入り、カタログを持って出てきた。
「ほれ、あんたも、自分の分くらいはいいモン買ったらいいんだよ、見るだけ見るか?私は、半額にしてもらってるけど、それでもなぁ。あんたには適用されるか分からんしねぇ……」などと古めかしいデザインのカタログを手渡される。
羽毛布団を買う気などさらさらなかったので、あーじゃあ見るだけ~、と、何の気なしにパラパラ~とめくってみたのだが、漫画だったら目玉が音速で飛び出るところだった。
値段がとんでもない。
指輪やオレオレ詐欺がかわいく思えるほどだ。
羽毛布団ひとつで¥1,380,000とか記載されているのである。数十万のもあったけれど、中古車のカタログかと思うくらいの桁だった。
いくら半額になったとしても、とてもじゃないけどイカれた値段だ。貴重なカワセミの羽毛を集めましたとかそういうやつ???
「高っ!!!」という言葉を飲み込んだせいで、「ホオーーッ!」と半ば雄叫びになった。おばあちゃんはそのリアクションにちょっと不満げな顔をしていた。しまった、と思い、わたしは続けた。
「さすが……本物は違うんですね、ちなみに、この中のどれを買ったんですか?やっぱり、あったかくて軽くてふわふわなんでしょうね~本物ですもんね」
鳥の羽毛に本物も偽物もない気がするけど。ニワトリですらおなかの羽毛はフワッフワで極上のあたたかさだ。
「あぁ、うちは……これとね、あと来客用にこれ、あとこれかね……」
正直なところ、首を突っ込んだのが間違いだったと思うレベルの値段だった。警察。だれか警察を呼んで……わたしが呼ぶの?
正確な値段は衝撃過ぎて記憶から飛んだが、半額だと仮定しても、おばあちゃんは200万以上払っている計算だ。
でも、わたしは孫でもなければ家族でもない、ご近所さんですらない、隣の喫茶店の、ただのバイト。
剛田さんの1億円当選メールの件もあったし、おばあちゃん、目を覚まして!!と余計なお節介を焼くべきか、迷いに迷った。
↑ 1億円当選メールの話はこれ ↑
見なかったことにしよう。
おばあちゃんは、イケメンもどきが来るのをとても楽しみにしていて、今年は作る気のなかった干し柿を、彼のために干しているんだとか、来客用のいい茶葉をまた買うようにしたとか、生き生きとしていた。
いつも茶色や黒の海苔せんべいみたいな割烹着を着ていたのに、おしゃれして、スカーフを巻いて、ちょっとお茶菓子を買いに、と、ショッピングモールまで足をのばしてきたとか、前よりもずいぶんと愛想がよくなった。
彼の売りつけた羽毛布団で、きっと冬もあたたかい夜を過ごせるんだろう。
それからしばらく経ったある日、少し早めにバイト先に着くと、おばあちゃんとイケメンもどきが、2人で干し柿をおろしているところに遭遇した。「早いね!時間あんならあんたも食べていきな!お茶でも飲みな!!」と誘われた。
初めて入ったおばあちゃんちは、外見のボロさからは想像もつかない広さで、よく手入れの行き届いた、昔ながらのふすまで仕切られた畳の部屋だった。
お土産が飾られた棚や、大きな仏壇やガラス箱入りの日本人形があって、とても綺麗に掃除されていた。急須や湯飲み茶碗が乗ったお盆に、埃が被らないように布巾が載せてある。
悪質セールスマン・おばあちゃん・わたし、という謎の3人が集ってしまった。イケメンもどきは余計なことを喋らないようにしているのか、わたしの顔はあまり見ず、おばあちゃんの話に、ははっ、とか、うんうん、とか、相槌を打っていた。
うかつに話を切り出すこともできず、今日は風が強いですね、とか心底どうでもいい話をしてみたりして、干し柿を2つ食べ、渋めのお茶をいただいた。おいしかった。
イケメンもどきは干し柿を4つも食べた上に、お茶うけに置いてあった梅干しと浅漬けまでボリボリ食べてお茶をお代わりしていた。
チラシを折って作ったゴミ箱。ボタンをおすと1本だけ出てくるレトロなつまようじ入れ。
死んだ母方のばあちゃんを思い出してちょっと泣きそうになった。
出されたものをコイツが食べてなかったら、もっと嫌いになれたのにな。おばあちゃんは満足そうに、急須をくるくるとゆすっていた。
わたしは、なんだか、もう何も言えなかった。
「そろそろ時間なので、行きますね、ごちそうさまでした!」とわたしが立ち上がると、イケメンもどきは「あ、行ってらっしゃいでーす…」とよく分からない挨拶をしてきた。
わたしは、ほんの少しだけ、何かできやしないかと、まっすぐイケメンもどきを見つめたまま、心の中で3秒数えた。
そして、何も言うことなく、おばあちゃんちを後にした。
お前のやってること、分かってるからな。
顔は覚えたぞ。
そんな気持ちを込めて見つめたのかもしれない。
きっと、あんな商売が長く続くわけないし、罪悪感や後ろめたさにいつか耐えきれなくなるだろう。そうじゃないなら、いつかエスカレートした犯罪で逮捕されるに違いない。
おばあちゃんはいま、幸せなんだ。
騙されてますよ、と言うのは、野暮だろう。
ボケているわけでも、困っているわけでもなさそうだ。なんなら、分かってて受け入れているふしもある。
幸せな夢を見ている人を叩き起こす権利がわたしにある?それは正義感?自己満足?
いつもより店のドアが重く感じた。
開けると「ありゃ?どこにいたの?」と訊かれたので、「お隣さんちで羽毛布団のセールスマンと干し柿食べてました」と答えた。
店長は、隣のおばあちゃんと仲が悪いというか、あまり関わりたくないようだった。長年の付き合いだからいろんな事情があるのだろうし、わたしが首を突っ込んでいることにもたぶん気付いていて、それでも特に話題にすることはなかった。
どこまで察したのか分からないけれど、店長が「まあ、金は冥土に持っていけないしねぇ」と言った。
ああ、あのおばあちゃんはもしかしたら、お金持ちなのかな。
高級羽毛布団。
イケメンもどきが訪ねてくる嬉しさ。
誰かのために干し柿をつくる気持ち。
張り合いのある毎日。
おばあちゃんは、お金で買えないものを、お金で買ったんだろうか。
それからしばらくして、イケメンもどきの姿を見かけることがなくなった。おばあちゃんもなんだか、つまらなそうだった。
挨拶ついでに、さも今気付いたかのように「あれ?そういえば最近、来てないですよね?」とおばあちゃんに訊いてみた。
きっと分かっているだろうに、おばあちゃんは語気強めに「誰が……」とだけ言った。
「布団屋さんの、あの」とわたしが口ごもると、おばあちゃんは「あぁ〜。なんだかねぇ、他県に異動になるからって菓子折りもってきたっけねぇ」と、大したことのない話をするみたいに言った。
わたしは、なんて言えばいいのか、気の利いた言葉も出てこず、あぁ、そうなんですか、と相槌を打った。言葉が意味を持たない世界にいる気分だった。
干し柿おいしかったですね。
来年は、もう作りたくないですか?
羽毛布団は、あったかいですか。
さみしくないですか。
あのときわたしが本当に言いたかった言葉は何だったろうな、と未だに考えている。
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