見出し画像

まさかわたしが乳がんになるなんて(2)~精密検査から妹に怒鳴られるまで

3月13日に乳腺クリニックで生体検査をしてもらい、結果が出るのが25日ということで、22日に予約していたアメリカへの帰国便を変更することに。さて、いつに変更しようか?だけど、妹の場合みたく数か月検査を続けてやっと最終的な判断が下されるというケースもあるので、自分考えても意味がない。ということで、とりあえず、4月1日(月)に変更した。

25日にモンテッソーリ保育園の職場に戻ることになっているので、そちらも事情を伝える。こんなに直前になってからの連絡でほんとうに申し訳ないところなのだけれど・・。と、さらにすごいタイミングで、一緒にわたしのクラスを受け持っていた同僚が、お父さんが倒れ、急遽地元に戻らなくてはいけなくなった、ということを知る。主任の先生への負担が半端なくなるではないか!

さて、13日から25日までであるが、基本的には、日々予定が入っていて、友達と熱海旅行とか、父の4周忌とか、対面でポッドキャスト収録とかとかとか。特に何も変えることなく、日々を過ごしてました。おそらく、この間、アメリカに残された夫のほうが困惑していたと思われるし、わたしも立場が逆だったら、「とにかく早く戻って来い!」と叫んでいたかも。

25日(月)に、乳腺クリニックに結果を聞きに行きました。医師から、小さい紙を見せられながら、「乳がんでした。」と。「あーやはりそうよね。とりあえずよかったわ結果がすぐに出て。」と、心でつぶやきつつ、核グレードの欄に3に丸が付けられているので、「そうですか。ちなみにこの核グレードというのは何ですか?」と聞くと、「がんの顔つきの悪さです。」という、ちょっとよく分からない回答で、「3は一番悪いということですよね?」と聞くと、「そうです。」と。個人的には、もう少しちゃんと説明して欲しいところだけれど、まあ、あとで自分で調べるか。「まだ、この癌の性質というかタイプの部分の検査結果が出ていないので、28日にもう一度来てもらえますか。」と言われる。22日に民泊を引き払ってから、葉山の妹宅に居候させてもらっているので、結構ここまで来るの遠いんですけど・・と思いつつ、まあ仕方がない。

この時点では、がんの治療を積極的にするかどうか、決めていなかった。というのは、2010年に白血病になり、凄まじい闘病生活を送った父の姿を間近で見ており、その際、「わたしはもし癌になったら、抗がん剤や放射線治療はしない。緩和ケアで生きられるだけ生きるぞ。」と、決めていたから。なので、がんと診断されて、「よし、わたしの人生ここまで。みなさんさようなら。」という言葉が湧いてきたのだった。

というようなことを、25日に、ビール飲みつつ夕飯作りながら妹にぽろっと伝えると、「はー?!何言ってんの?パパは70代だったけど、あなたはまだ40代よ、40代!治療しないで死ぬには早すぎるでしょ。もし治療しない道を選んだら、3代先まで祟るからね!!」と、元来とにかく粘り強いヘビ年生まれの妹に、怒鳴られる。トホホ。「3代先まで、って、あんた子どもいないじゃん。」と言うつっこみをいれる隙間もないわたしを尻目に、義弟がぽそっと、「3代って子どもいないじゃん。」と言うも、妹はまったく気に留めず、ぷりぷりしている。「えー、まじで、あれ、やるの、いやー、無理なような。ほら、樹木希林さんみたいに積極的な治療をしないという選択だってあるわけで。」と、言ってみるも、「希林さんも、もっと歳でしょ!!あなたはまだ40代、40代!!」

妹に3代先まで祟られるとなると、おちおち死んでもいられない気になってくるから不思議なもんだ。

ちょっと話を変えて、「でもさ、結構本気で思うんだけど、パパが天国で暇してて、わたしを呼んでるんじゃないかと。ほらママが意外と元気にしてるじゃん。」と言うと、「あーなるほど。うちら(妹と妹の夫)は、パパが、なかなかまきちゃんがアメリカから日本に帰って来ないから、日本に呼んだんじゃないか、って話してたのよ。」と。

わたしが、それまで、癌に関係なく、アメリカの医療はとにかく高い!虫歯一本治療10万円、指をちょっと切ったら5万円とられた、という話をしてきたので、妹としては、癌の治療は当然日本ですると思っている。わたしも最初は、わたしが住んでいるアメリカの人口5万人の田舎町では、癌の治療ができる病院はないと思っていたので、東京で治療するしかないと思っていました。が、ためしに、町の名前と癌センターで検索してみると、なんと、癌センターが存在することを知りました。そこで、夫に、その癌センターが、新患を受け入れているか、比較的すぐに予約を入れることが可能であるか、問い合わせてもらいました。(コロナ頃からバブルで他州からの移住者が大量に入ってきていて、新患を受け入れない病院が普通にあるので。)すると、新患は受け入れる、とのこと。対応も非常に良かった、と。

ここで、今までわたしの頭の中になかった、「アメリカでの乳がん治療」も選択肢に加わってきたのだった。むおー。どうすりゃいいんだ!

(続)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?