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わたしが乳がんになるなんて(3)~東京で治療するかアメリカで治療するか

「アメリカで治療する」という、今まで考えてなかった候補が浮上してきました。しかも、すぐに決めなきゃいけない。むおー。25日に乳がん確定した後、2日後の27日の午前中にはどこの病院で治療するかを決めて、乳腺クリニックに電話して紹介状を準備してもらうことになったからです。

そもそも、家があるアメリカで治療すると簡単に決められない理由は、とにもかくにも、治療費が猛烈に高いであろうということでした。なんせ虫歯1本10万円ですから。あと、モンテッソーリで働き始めたころに、同僚が白血病を再発したときのことも記憶にありました。正式な治療は高いこともあり、臨床試験的なもので治療を行い、それでも高額なので、寄付を募っていました。そして、彼女はカリフォルニアの病院で治療をしていたため、渡航費やホテル滞在費用もかかっていました。それを見ていたわたしは、この国での癌の治療は莫大な費用がかかること、そしてこの町では癌の治療ができる病院はない、と理解していたのでした。

さて、そんな中、わたしの入っている医療保険をちゃんと調べてみたところ、年間最大支払う金額が決まっていて、それは、もちろん日本での治療費よりは高いけれども、支払えない額ではないことが分かりました。あと、テキサス州の癌センターで働く友達いわく、アメリカでは乳がんは件数も多く、おそらく、基本的には保険でカバーされる標準治療でいけるだろう、ということ。

アメリカで1人やきもきしている夫としては、もうどちらでもいいから早く決めてくれ、という感じで、「もし東京で治療するとしたら、こっちの家を売って、東京で仕事を探すから、それでもいい。」と言ってくるがよ。それはそれで、引っ越し1つにしたって、家を売った経験もないし、下手したら半年とか1年はかかると思われる。その間、仕事ない状態で病院近くの賃貸住宅探ししながら(そもそも普通には借りられないはず)、通院し、アメリカで右往左往するだろう彼へ叱咤激励する、とか、もりもり行える気がしない。ただ、日本での治療だと、金銭的にはアメリカに比べるとかなり楽だし、日本語でいけるし、妹夫婦も気心の知れた友達たちもいるので、精神的に心強くはある。

最終的に、アメリカで治療することに決めた大きな理由となったのは、主任の先生からのメッセージだったような。彼女から、毎日のように、「今日はこんなことがあった。」とか、「軽い掃除とか教材作りとかやりたいのよね?ディレクターに話してみるわね!」、とか「あなたが治療中、わたしがサポートをするわ!」とか、こっちに返信する余裕がなく、結果的に無視してる状態だったのに、ぽつぽつとメッセージを送り続けてきたのです。この、おそらくわたしがいままでとってきただろう「なにかできることがあったら言ってね。」という姿勢ではなく、返信なくてもぐいぐい来る感じって、ときには相手にとって大事なんだなあ、と思い知りました。

日本で治療をするとなると、たぶん、乳がん治療中に新しく仕事を始めるというのは、難しいだろう。そうなると、妹夫婦や友達たちに”お世話になるだけの日々”というのは、精神的に辛いな、と。アメリカに戻れば、調子が良いときなど、保育園で何か役に立つことができるかもしれない、という希望が、最終的にアメリカで治療をすることに決めた理由でした。
(この希望は、考えが甘かったということはすぐ後に知ることになるのですが・・)

(続)



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