まき|アメリカでモンテッソーリ保育士

モンタナ州で現役保育士。アラフィフ。40代で初海外移住。日本では教育NPOなどで働いて…

まき|アメリカでモンテッソーリ保育士

モンタナ州で現役保育士。アラフィフ。40代で初海外移住。日本では教育NPOなどで働いてました。幸せは、笑わす、笑われる、ビール、太鼓、ジャンベ、家庭菜園、手縫い、インドヨガ、サーフィン、スタートレック、オーバーザサン。日本の海辺で学童やりたい。2024/3月乳癌に。

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  • モンテッソーリ保育園での仕事や子どもたち

    アメリカの田舎のモンテッソーリ保育園での仕事とかモンテッソーリ教育についての記事です。アメリカの保育園やモンテッソーリに興味ある方に読んでもらいたいです。

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  • 膵臓癌で亡くなった父の在宅介護の記録

    2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。

  • 40代でアメリカ移住してみて、驚いたことや変わったこと

    40代でアメリカ移住してみて、驚いたことや変わったこと

最近の記事

乳がんの手術日が決まってからやったこと~病院周りのトレイル散策とマイクロチップ埋め込み

4月5日(金)に、乳がんの手術日が4月22日(月)に決まりました。 その間、なにをしていたか、というと、10日(水)に、指定された近所の薬局に薬を取りに行きました。ここでは、手術後の鎮痛剤と、手術後の吐き気止め用の耳に貼るパッチが処方されました。 そうそう、アメリカでの乳がんの手術は、入院なしです。朝行って夕方家に戻るスタイル。日本では、10日間くらい入院するようなので、ずいぶんと違うもんだなあ、と。入院なしだからベッドの空きを考慮する必要がないので、手術が比較的早く予約

    • 癌患者への対応~日本とアメリカの違い

      東京に一時帰国中の3月25日に乳がんと診断され、4月1日にアメリカのモンタナ州の癌センターで治療を始めました。 「日本」と「アメリカ」というとあまりにくくりが大きい気もしますが。もうちょっと正確にいうと、東京都の日本橋あたり(って、まさに東京のど真ん中じゃないですか!)の乳腺外科クリニックと、アメリカのモンタナ州のボーズマンという人口5万人(うち白人が99%)の町の癌センターで受けた対応の違いについて。 そもそも、「あれっ?」と、感じたのが、乳腺外科クリニックで、乳がんと

      • アメリカの田舎町で乳がんの治療を始めた

        日本からアメリカに戻ったのが、4月1日(月)。まだまだ極寒かと思いきや、意外とあったかい!いえい!と、飛行機が1時間くらい遅れたこともあり、ばたばたと、空港に迎えに来てくれた夫の運転で、日本から持ち込んだ、超音波検査とマンモグラフィーの結果のCDと、生体検査のスライドを、癌センターに届けに行きました。 窓口で受け付けてくれた若い女性は、極めて感じよく、にこやかに対応してくれました。おーいい感じ。 そして、翌2日(火)は、わたしの治療チームの窓口となる担当者の方と顔合わせ。

        • 乳がんになってから変えた食事とやってみた民間療法(生姜湿布と里芋湿布)

          マクロビオティックを実践している友達から教えてもらった、わたしの食事の改善法。 わたしの食事は、極端な陽性(特に肉、魚)と極端な陰性(特に乳製品)に偏っているため、中庸に戻す必要があります。 中庸な食事とは、 幼いころから、両親が好まないこともあり、「ご飯とお味噌汁」という食事になじみがありませんでした。じゃあ何を食べていたのか?というと、とにかくおかず。あとは、うどんやパスタなどの麺。 料理を作るのは好きなので、基本自炊してましたけど、1人暮らしを始めた20代から、

        乳がんの手術日が決まってからやったこと~病院周りのトレイル散策とマイクロチップ埋め込み

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        記事

          乳がんになったのは偶然ではなかった~食生活を振り返る

          わたしが乳がんになったのは、偶然とか不運とかではなく、必然だったんだ、と素直に受け入れられたのは、ひとえに、友達のゆきこのおかげでした。 彼女は、数年前からマクロビオティックという食事法を実践しています。きっかけは、卵巣嚢腫ができたときに、切らずにすむ方法はないかと見つけたとかで、大好きだったチーズを含む乳製品を一切口にしなくなったと聞いて、驚いた記憶があります。嚢腫が消えた後にも、継続して学びを深め、資格を取ったり、教室のアシスタント講師をしたりしています。 今回あらた

          乳がんになったのは偶然ではなかった~食生活を振り返る

          わたしが乳がんになるなんて(4)~アメリカの病院に国際電話で予約を取る

          東京で、乳がんと診断されたのが3月25日(月)。26日(火)に、アメリカで治療することに決め、27日(水)に乳腺クリニックに電話して紹介状の宛先に病院名を書いてもらい、ダメ元で「英語の紹介状はないですよね?」と聞くももちろん無く、28日(木)にクリニックに、検査結果の残りを聞きがてら紹介状を取りに行きました。 ものすごい考えあぐねて、かたつむりなみにのろのろしてた記憶があるけど、そんなことはなかったのねえ。ふぅ。 その間夫は、上司に報告したところ、彼女から、過去に乳がん経

          わたしが乳がんになるなんて(4)~アメリカの病院に国際電話で予約を取る

          わたしが乳がんになるなんて(3)~東京で治療するかアメリカで治療するか

          「アメリカで治療する」という、今まで考えてなかった候補が浮上してきました。しかも、すぐに決めなきゃいけない。むおー。25日に乳がん確定した後、2日後の27日の午前中にはどこの病院で治療するかを決めて、乳腺クリニックに電話して紹介状を準備してもらうことになったからです。 そもそも、家があるアメリカで治療すると簡単に決められない理由は、とにもかくにも、治療費が猛烈に高いであろうということでした。なんせ虫歯1本10万円ですから。あと、モンテッソーリで働き始めたころに、同僚が白血病

          わたしが乳がんになるなんて(3)~東京で治療するかアメリカで治療するか

          まさかわたしが乳がんになるなんて(2)~精密検査から妹に怒鳴られるまで

          3月13日に乳腺クリニックで生体検査をしてもらい、結果が出るのが25日ということで、22日に予約していたアメリカへの帰国便を変更することに。さて、いつに変更しようか?だけど、妹の場合みたく数か月検査を続けてやっと最終的な判断が下されるというケースもあるので、自分考えても意味がない。ということで、とりあえず、4月1日(月)に変更した。 25日にモンテッソーリ保育園の職場に戻ることになっているので、そちらも事情を伝える。こんなに直前になってからの連絡でほんとうに申し訳ないところ

          まさかわたしが乳がんになるなんて(2)~精密検査から妹に怒鳴られるまで

          まさかわたしが乳がんになるなんて(1)~人間ドックから精密検査まで

          2024年3月11日(月)、東京に一時帰国中に、久しぶりに人間ドックを受診しました。超音波検査の時、検査してくれた方が、最初は、「冷たくないですか~。」「久しぶりの日本なんですね~。」など、ほがらかによくしゃべっていました。それが、左胸の脇に差し掛かると、急に無口になって、数分間同じところをぐりぐりとあてていました。「あーなんかあったのね。」と、思ったまま、この場は終了。 その後、マンモグラフィーを終え、医師からの説明の部屋に行きました。ここで、「ここにしこりがあります。」

          まさかわたしが乳がんになるなんて(1)~人間ドックから精密検査まで

          「自分の感情くらい自分で守ればかものよ」に打ちのめされたというか目を開かされたというか

          日本で妹の家に滞在中に、彼女の本棚に見つけた、わたしも好きな詩人茨木のり子さんの「おんなのことば」という小さなブックレット。 なんの気なしに、ぱらぱらと最初の詩を読んで、打ちのめされたような。 見事な言い切りっぷり「ばかものよ」って。「自分の感情性くらい」という詩なのですが、最後の締めが、 すごい。 はい、すみません、そうします。としかいいようがない。 この詩は、1975年、彼女が48歳のときに書かれました。 一番最初から紹介します。 はい、おっしゃるとおりです。

          「自分の感情くらい自分で守ればかものよ」に打ちのめされたというか目を開かされたというか

          どんなおばあちゃん、おじいちゃんになりたいか聞いてみた

          ばななさんの『スナックちどり』で印象的だった、「きっちりおばあさんになるまでがんばろう」。 正直、わたしは自分がどんなおばあさんになりたいか、まったく思いつかなかったので、友達たちに聞き込みしてみました。 Moさん「ぽたぽた焼きのおばあちゃん。ほっこり優しい感じ。みんなが帰ってきたくなるようなおばあちゃん。憧れ。私には全く要素なしだが。」 →わたしも、ほっこり優しいおばあちゃん、憧れる!!が、わたしにとっても、若干、ないものねだりとも言えるかな。どうやったらそうなれるのか

          どんなおばあちゃん、おじいちゃんになりたいか聞いてみた

          よしもとばななさん『スナックちどり』も電車では読めないって話し

          妹に借りた本、第2弾。ホロリ。 よしもとばななさんなら、電車で読むのにいいのでは!と思ってみたのだが。 今回も、まったく学びのないわたし。 帯を読め、帯を! さて、この、また、全然電車で読むのに相応しくない本ではあるが、気を取り直して、気に入った箇所をご紹介。 ちどりは、子どもの頃に両親を亡くし、路地裏で小さな「スナックみどり」を経営する、働き者の祖父母に、愛情たっぷりに育てられた。その祖父母も最近亡くし、悲しみにくれながら、ヨーロッパ旅行へ。 そんなちどりといとこ

          よしもとばななさん『スナックちどり』も電車では読めないって話し

          小川糸さん『キラキラ共和国』は電車では読めないって話し

          妹の家で見つけた小川糸さんの本。 この作家さんの名前は見たことがあったけど、読んだことはなかった。 そうだったのね、デビュー作が海外でも出版されたなんて、大人気なのね。 馴染みがなかったため、なんとなく、若くて新鋭の作家さんかと思っていた(相変わらずの思い込み)のですが、わたしと同世代なんですね!一気に親近感。 ちなみに、妹の家には、『食堂かたつむり』(単行本)、『ツバキ文具店』(文庫本)、その続編の『キラキラ共和国』(文庫本)があります。 その中から、まず読み始めた

          小川糸さん『キラキラ共和国』は電車では読めないって話し

          「ずっとやりたかったことを、やりなさい」1週目:向き合うのを避けてきた自分自身と出会う

          英語版とずいぶん違う!夫に読んでもらえるよう英語版の本は家に置いて日本に帰ってきて、日本語版を手にしてびっくり。 本が小さい!字も大きくて読みやすそう! 買ったのが、「ずっとやりたかったことを、やりなさい②」だからか、英語版①に書いてある前書きや10個の基本的な原則が書かれてない。結構、前書きとか原則、いいこと書いてあったから、①買えばよかったかも。 逆に、①にはなくて②に追加されている、3つめの基本ツールが、「1週間に1度、20分の散歩に出かける」というもの。歩こう。

          「ずっとやりたかったことを、やりなさい」1週目:向き合うのを避けてきた自分自身と出会う

          父の4周忌の朝に思ったこと備忘録

          父が膵臓癌で亡くなったのは2020年のホワイトデー。 東京では、その冬、最初で最後の雪でした。 ちなみに命日がホワイトデーって覚えやすくていいですね。 人の誕生日とかほんとに覚えられないわたし。 父のお墓に、好物だったハーシーのチョコを備えたいと思っているんですが、どこのスーパーを見ても、売ってない! 今回日本に帰ってきて衝撃的なのが、去年より母の認知症がぐっと進んでいること。 「パパが死んで10年くらい経つっけ?」 →「4年よ。2020年だから。」 「パパは、ハル

          父の4周忌の朝に思ったこと備忘録

          初めての刺繍!

          東京に滞在中にやりたかったことの1つ、刺繍。 ずっと憧れてたものの、YouTubeの動画では手元が見えず、断念してました。 「これは、対面で教わらないと!」と、モンタナからインターネットで日程の合う教室を探していました。 1回ぽっきりの講座を見つけて、申し込みました。 布ではなく紙に刺すタイプで、なんとも可愛らしいミモザではないですか。 まずは、練習↓ 「フレンチノットステッチ」という技です。 そして、本番↓ 大満足! 友達への誕生日カードとか、作ってみたいところ