あなたの日本語はまちがっていますよ 9
9、二重敬語
まず、「二重敬語」とは何か。そもそもそれを理解しないで「二重敬語だ!」と言っている人がいるので、「二重敬語」」とは何かを明示しておかなくてはならない。
「二重敬語」とは、
「尊敬の動詞」に「尊敬の助動詞『れる・られる』」を接続したもの
です。
例えば、
×「召し上がられる」(召し上がる+れる)
×「仰られる」(仰る+れる)
や
×「お話になられる」(お話になる+れる)
×「ご出発になられる」(ご出発になる+れる)
など「お(ご)〜になる」+「れる」
である。
丁寧の接頭語「お」「ご」や丁寧の補助動詞「いたす」、丁寧の助動詞「です」「ます」「ございます」などは、尊敬語や謙譲語と重なっても、それは「二重敬語」とは言わない。場合によっては「過剰である」と思われるだけのことである。
だから
○「拝受いたしました」は「拝受+いたす+ます+た」であるが、これはもちろん二重敬語ではないし、全く問題ない美しい日本語である。
○「お召し上がりください」も二重敬語でないし、問題ない美しい日本語だ。
(お+召し上がる+ください)
「召し上がる」も、元々は「召す+上がる」であろう。
○「ごめんくださいませ」も同じく、二重敬語でなく、美しい語だ。
(ご+めん+ください+ませ)
また ○「お伺いいたします」も、文法上なんらまちがいではない。むしろ美しい日本語に分類されるだろう。
にもかかわらずこれらを「二重敬語だから間違っている」と教えているページがある。それはそのページの間違いである。
「日本語」を啓蒙している多くのページが、専門でない人によって書かれている(ようだ!)ので、間違いは頻繁にある。Web情報は、まずは信じないことが大切である。
◆ ◆ ◆
「ありますでしょうか」
これは常体に戻すと「あるだろうか」である。「ある+だろうか」が「あります+でしょうか」と変化している。これは二重敬語の定義である
「尊敬の動詞」に「尊敬の助動詞『れる・られる』」を接続したもの
ではなく、二重敬語ではない。だから文法上の問題はないということだ。
ただし、これは言葉だから「美しいか」という別の問題が生じる。
私(水島)の感性では、 △「ありますでしょうか」は△かなあ。「ある」の部分を丁寧にして ○「ございますか」あるいは ○「ございますでしょうか」がより美しいと感じる。もちろん ○「ございますでしょうか」は、二重敬語ではない。
△「されておられる」も、文法上の間違いはない。ただ美しいかどうかというと、私は「美しくない」から使わないと判断する。
私なら ○「なさっている」を使用する。
◆ ◆ ◆
「拝見させていただきます」
これは「させていただく」の常体「させてもらう」を「敬語」だと間違っている人が、「だから二重敬語だ」と言っているのである。
これは「二重敬語」ではなく、「させていただく(もらう)」の部分の意味と使用法の問題である
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あなたの日本語は、まちがっていますよ!」と言いながら自分こそが間違った日本語を垂れ流している人達は、もちろんそのことに全く気付いていない。だからいくら「あなたのその理解こそ間違っていますよ」と指摘したところで、蛙の面に水、決して直しはしないし、「あれ、もしかしたら間違って理解しているのかなあ」という反省もない。そしてそれに騙された人達が、また間違った日本語を広めている。
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