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連載日本史274 失われた10年

1990年代前半のバブル崩壊から2000年代初頭に至るまで、日本経済は長期低迷を続けた。いわゆる「失われた10年」である。資産価格の大幅な低下によって銀行や企業の収益は悪化し、90年代後半には、山一証券・三洋証券・北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行など、金融機関の破綻が相次いだ。バブル期の無理な投資がたたって、多くの金融機関が不良債権を抱え込んでいたのだ。

バブル崩壊以後の日経平均株価の推移(www.taisei-group.lifeより)

1996年に始まった金融ビッグバンも、日本の金融機関を追い込んだ一因である。高度成長期の日本の銀行は「護送船団方式」と呼ばれる規制政策によって守られていた。「銀行は一行たりともつぶさない」というのが当時の大蔵省の方針であり、貸出金利から振込手数料に至るまで全てが横並びとなっていたのだ。しかしグローバリゼーションの進む中で、日本の金融市場の開放を求める海外からの圧力もあって、橋本龍太郎内閣は金融改革を断行した。外資系の金融機関も含めた競争が激化する中で、銀行は国際競争力をつけるために合併を繰り返し、かつて13行あった都市銀行は5つのメガバンクグループに集約されていった。

2000年代初頭の銀行統合(www.findai.comより)

経済のグローバル化により、海外の経済危機も日本経済を直撃するようになった。特に1997年に起こったアジア通貨危機はタイ・インドネシア・韓国などのアジア諸国の経済に大きな打撃を与え、その余波は日本にまで及んだ。この通貨危機は各国の実体経済の悪化ではなく、米国を中心としたヘッジファンドと呼ばれる機関投資家たちが自らの利益のために各国通貨の空売りを仕掛けたのが原因で起こったものであった。通貨自体が商品となり、国境を越えたボーダーレスな投機によって巨大な損益が生み出される時代となっていたのである。

アジア通貨危機による経済成長率への影響(kccn.konan-u.ac.jpより)

日本経済の低迷は労働市場にも大きく影響し企業が新卒採用を控えた結果、1970年代生まれの「団塊ジュニア」世代は深刻な就職難に見舞われた。安価な労働力を求めて海外に生産拠点を移す企業が増えたのも、就職氷河期を生み出す一因となった。非正規雇用が増加し、長期にわたるデフレーションで100円ショップなどの安売り店が繁盛した。また、バブル期の派手な生活を見直し、地味で堅実なライフスタイルを求める価値観も広がりを見せた。そういう意味では、失われた10年は、それまでの価値観を見直す契機となったと言えよう。

非正規雇用労働者増加の推移(www.transtructure.comより)

橋本内閣から政権を引き継いだ小渕恵三内閣、小渕首相の急死により後継となった森喜朗内閣のもと、行政改革が進み、中央省庁が1府22省庁から1府12省庁へと再編された。続いて小泉純一郎内閣によって進められた構造改革により、日本経済はようやく回復傾向を見せ始めた。そんな中、世界を震撼させた米国同時多発テロ事件が勃発したのである。
 

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