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オリエント・中東史㉜ ~第一次世界大戦~
1914年6月、一発の銃声がボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに響いた。パン・スラブ主義に基づく大セルビア主義を掲げるセルビア人青年が、閲兵中のオーストリア皇太子夫妻を暗殺したのだ。翌月、オーストリアはセルビアに宣戦布告。これに対し、セルビアとバルカン同盟を組んでいたモンテネグロ・ルーマニア・ギリシア、セルビアを支援していたロシア、そのロシアと三国協商を結んでいた英仏、さらに日英同盟を口実にアジア
もっとみるオリエント・中東史㉙ ~アフガン戦争~
ロシアの南下政策と欧米列強の帝国主義植民地政策に振り回された19世紀の中東。文明の十字路と呼ばれたアフガニスタン地域は、その地政学的条件から英国とロシアの露骨な利害対立の舞台となった。18世紀にはイランからの独立を果たしていたアフガン王国は、19世紀に入って王朝交代があり、政情不安定となった。南下を狙うロシアを牽制し、植民地インドでの権益を守るために、1868年、イギリスはアフガン王国へと出兵する
もっとみるオリエント・中東史㉖ ~オスマン帝国の衰退~
16世紀前半、スレイマン1世の下で全盛期を迎えたオスマン帝国は、彼の死後、1571年のレパントの海戦でスペインのフェリペ2世が誇る無敵艦隊をはじめとした欧州連合艦隊に敗れはしたが、16世紀末までは概ね安定した治世を保った。帝国が衰退の兆しを見せ始めるのは17世紀に入ってからである。内政面ではスルタンに代わって宮廷出身の軍人が大宰相として実権を握るようになり、権力闘争が激化した。対外的には東隣のイラ
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