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不条理な殺人(ショート・ショート)

コンビニへ行き、なけなしの小銭で肉まんを買った。暑い日射しの中、肉まんをかじる。熱い。慌てて口呼吸する。この暑いのになぜ肉まんを買ってしまったのだろうかと悔やむ。だけど、アイスや飲料水では腹の足しにならない。肉まんを選んだのはコスパを考えてのことだ。肉まんを食べ終えたときには、自分の選択に間違いはなかったと思えた。

考えることといったら食べることばかり。次の食事にどうやってありつくかという生物最大の問題に取り組み続けて、あっという間に3か月が過ぎた。今までなんとか生きてこられたが、毎日三食食べられる日は少なく、小太りだった体も、今ではあばら骨が浮き出ている。新しい職を探すにも、住所不定ではそれだけで不合格になる。このままホームレスとして人生を終えるには、三十二歳という年は若すぎる。

ホームレスには二通りある。路上生活をすでに日常化した強者たちと、人生をやり直そうと奮闘している復帰希望組だ。僕はどうにか復帰希望組の一人として何人かのグループに入れてもらった。どこの世界でも今や情報の収集が一番大切になる。たぶん一人だけだったら、とっくに野垂れ死にしていたかもしれない。

路上生活者自立支援事業を行なっている施設があることも、仲間から初めて聞いた。早速区役所に相談に行った。食事、風呂、寝床が保障され、外出もできると言う。期間は六か月間だが、そのあいだに就職を決め、貯金をし、アパートを見つけることでホームレスから脱出ができる。職を見つけて自立支援センターを出られる人は約半分だそうだが、食事が毎日確保できるだけでも、センターに入る価値は十分にある。もちろん職探しは真剣に行うつもりだ。

自立支援センター入居が決まった。食事だけでなく、入浴や布団で寝ることも、人間にとって必要なものだと改めて知った。心配事の半分以上は片づいたと言える。後は就職先探しに専念できる。

朝食後は履歴書を書き、午後にはハローワークへ行くという日々が続いた。もともと事務職だったので、事務職の求人に片っ端から履歴書を郵送した。しかし、面接まで行くことは一回もなかった。センターの人は自分のことのように応援してくれてた。それに答えられない自分が情けなかった。心に生えていた太い枝がポキッと折れて、階段を落ちていく音がした。

早く就職を決めて、ここから出たい。このセンターは定まった住所を持って出ていくことが恩返しになる。しかし、履歴書を書く手にはすでにペンだこが出来ていた。履歴書を書くこと自体が苦痛になった。もうどうにでもなれとヤケクソになったこともあった。死にたいと何度も思った。だけど死ぬのは恐かった。とにかく生きたい。生きるためにも職を早く見つけなければいけない。

しかし、六か月はあっという間に過ぎ、センターを出なければいけなくなった。またホームレスに逆戻りだ。

元いた場所に戻ると、復帰希望組のメンバーは誰一人いなくなっていた。職が見つかったのだろうか。それとも復帰をあきらめてしまったのか。頼りになるのは区役所だけだったが、相談窓口には行列が出来ていた。中にはスーツ姿の人もいた。みんな自分より優秀に見えた。僕は行列から離れて街をさまよった。

生きたいと思えば思うほど、死んでしまったらどんなに楽だろうという気持ちも同じくらい大きくなっていった。
こんな目にあわなければいけなくなったのも、すべて木崎のヤツのせいだった。

入社してほぼ十年が過ぎたとき、僕が勤めていた建設会社で不祥事が起きた。よくある談合事件だったが、直接自分の会社で起こるとは想像もしていなかった。そのうえ、まったく関わっていない自分が全責任を負わされてクビになるなんて、いったい誰に想像できようか。

きっかけは談合を隠すためにどうすればいいかを議論するための役員会だった。総務部の係長である僕は、役員会の書記を担当していた。

今回の役員会でも僕が議事録を作成した。中身は到底表に出せる内容ではなかった。その丸秘資料が警察の立ち入り検査で没収された。

再び緊急役員会が開かれた。その席で僕の上司である総務部を管轄している木崎取締役が、議事録に書いてある内容を否定したのだ。それに合わせて、すべての役員も「私もそんなことを言った覚えはない」と言い出した。そして、僕が議事録を偽装したという結論に達した。議事録には各役員の印鑑も押されていたが、その印鑑は総務部の金庫に保管されていたので、僕にも押せると言われた。そして僕は会社をクビになった。争いが嫌いな僕は会社に裏切られて、やる気をなくしていたので、素直にクビを認めてしまった。(結局、会社と役員連中は書類送検された。)

家に帰って妻に話したら、妻は会社と戦うべきだと言い、弱気な僕を責めた。それが離婚につながるのには一週間もかからなかった。争いが嫌いな僕は離婚届に簡単にハンコを押してしまった。

クビになると退職金が出ないことを、会社を辞めてから知った。離婚の結果、自分が家を出ることも決まった。僕はただ今起こっていることが他人事としか思えず、すべて相手に従った。手元に残ったのはわずかな預金だけだった。それはアパートを借りることもできないほどわずかな金額だった。僕はホームレスになった。

就職活動する気力はもうなかった。それでも死にたくはなかった。僕は木崎のヤツを殺そうと思った。一人だけなら殺しても死刑にはならない。そのうえ、自立支援センターほどではないだろうが、刑務所だって食事、風呂、布団は揃っているから、生きていくのに困ることはないだろう。

木崎の住所はわかっていた。僕は出刃包丁をカバンに入れ、木崎の家に向かった。

木崎の家に着いたとたん、玄関から木崎本人が出てきた。突然のことに動揺していると、木崎から話しかけてきた。
「おお、ちょうどいいところに来た。実は君に会いに行こうと思っていたんだ」
木崎が僕に近づいてきた。僕はカバンの中に手を入れて、出刃包丁を手探りした。
やっと手につかんだと思ったとき、
「お前のせいで会社を辞めさせられた」
木崎は言い、いつの間にか手にしたナイフで僕の胸を突き刺した。
「なんでこうなるの?」
僕はそれだけつぶやくと、地面に倒れた。

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