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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『はだしのゲンの子供力』

戦争漫画『はだしのゲン』については、小学生のときに読んだ気もするし、読んでいない気もする。読んでいたとしても内容はまったく覚えていないのだから、読んでいないのと一緒だ。

このエッセイは戦争の悲惨さではなく、原爆投下された広島で生きる小学校二年生、げんを通して、子供力に重点を置いて書いている。

「子供というのはいつの時代にも、どうしようもなく明るく、はちゃめちゃで、優しくて、生きる力に満ちて」おり、「おしなべて即物的、快楽的、楽観的である。悲しみも怒りも憎しみも、瞬間的に発散し、浄化してしまう。」「そして曇りなき眼で世界を見、感じ、愛情豊かで、生きることしか考えていない。現在しか興味がない。来るかどうかわからない未来より今が大事だ。」それを著者は『子供力』と名づけている。

しかし、田口ランディ自身はそんな子供力を持っていなかったのではないかと記憶している。しかし、「もしかしたら私は、大人になるに従って『辛かった』という部分だけを過剰に記憶に留めているのかもしれない。子供のときは、なにげない日常がひらすら楽しいのだ。だから辛いこと、悲しいことの方が特別で、特別だから記憶に残りやすいのかもしれない」と考える。

確かに人間は苦しかったことをよく覚えている。たぶん自分は子供の頃不幸だったと思っている大人も多いに違いない。私自身も不幸な子供時代を過ごしたと思っていた。しかし、片づけをしていて昔のアルバムを見つけて、子供の頃の写真を見ると、著者と同じように、ほとんどすべてが笑顔で写っている。

今の子供は早く大人になるように強制されているように見える。平気で作り笑いができる子供が増えている気がする。「『子供力』は大人を揺さぶるだけのパワーを持った力だ。」それを早く失わそうとする今の時代は、やはり異常な世の中だ。

人間は見方さえ変えられれば不幸から幸せになれるものなのだ。不幸を良い経験として活かせるか、それともただの不幸で終わらせるかで、人間の幸不幸は決まる。

良い経験として活かすことはとても難しいことだとは思うが、私自身は大人になっても、「まわりの」大人を揺さぶるだけの『子供力』を失わないでいたいものだ。

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