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時間を貯める男の物語

<これも『時間にまつわる物語』の番外編です。実経験から作りました。>

僕が時間を貯めようと思ったのは、まだ僕が二十歳を超えたばかりの、ある出来事がきっかけだった。

ある朝、僕は通勤のため最寄り駅まで歩いていた。すると、身長が2メートルはあるかという大男が僕を抜き去っていった。

よし、同じペースで歩いてみよう。気まぐれにそう思った。右足、左足と、大男と同じリズムを刻みながら、僕は歩いた。イチ、ニ、サン、シ、イチ、ニ、サン、シと4拍子で歩いたが、大男との差は広がるばかりだった。歩幅が違いすぎるのだ。

それではと、今度は大男と同じ歩幅で歩いてみた。しかし、足の長さが違うのだから、歩き方がぎこちない。大男と同じペースで歩けるわけがない。やはり大男との差は広がり続け、いつの間にか大男の姿は僕の視界から消えていた。

そのとき、僕は気づいたのだ。足の長い人は足の短い人よりも早く目的地に着けるということに。あの男は僕より早く目的地に着く分、時間を得しているのだ。たかが300メートルほどの距離で、30秒くらい儲かったとするならば、あの大男は一日に、僕よりどれだけの時間を使わないで済んだことだろう。それが1か月、いや1年経ったとき、あの大男は計算するのも面倒くさいほどの、たくさんの時間を貯められるに違いない。

その日から、僕はとにかく早く歩くことにした。前を歩く人たちは、常に追い越していく目標になった。そして、得した時間を貯めていった。時間には利息がつかないから、僕は必死になって歩いた。貯めこんだ時間は定年退職したときに、ゆっくりと使うつもりだった。その頃までには結婚して、子供を育て、その子供も独立して、夫婦二人で日本中の温泉巡りができるほどのお金も時間も貯まっているだろう。早く歩くのが毎日の楽しみになっていた。

50代も後半にさしかかったある日、いつものように前を歩く人たちを抜いていると、同年代くらいの男が僕を抜き返した。こちらも負けじと抜き返す。お互いにむきになっていく。追い抜かれ、追い越し、そんな繰り返しが続き、しまいには二人とも駆け足になっていた。

相手を意識するあまり、まわりが見えていなかった。

車道に飛び出したとたんに、僕は車に跳ねられた。命だけはとりとめたものの、1か月の入院生活、リハビリに3か月もかかってしまった。今までに貯めた時間はすっからかんになった。40年の努力が、一瞬の油断で水の泡と消えてしまった。今から時間を貯め直したところで、定年まではあと数年しか残っていない。これで定年退職後の温泉巡りも夢のまた夢になった。仕方ない。老後の楽しみ方は見直さなければなるまい。

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