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日曜美術館を見て(2023.8.27)

今回のテーマは絵本画家の八島太郎。
絵本には子供のためだけの絵本と大人にも読んでもらいたい絵本がある。八島太郎の絵本は後者になるだろう。

戦争は亡くなった人たちだけでなく、生き残った人たちにも当然のように影響を与えた。
敗戦国日本で生まれ、戦勝国アメリカで暮らした八島太郎にとっても大きな傷を残した。

日本でプロレタリア画家として投獄され、絵を書くためにアメリカへ渡った太郎は、太平洋戦争に巻き込まれながらも、絵本画家として成功する。
しかし、アメリカの諜報部で働いていたこともあり、故郷の人たちからはスパイ扱いされる。
八島太郎は日本を愛し、日本のために活動を行っていたにもかかわらず、当時の洗脳された人たちには売国奴にしか見えなかったのだろう。

人は自分の思いに正直な人ほど、他人から誤解されやすい。戦後日本を通訳として訪れた太郎は故郷帰還を断念する。自分の心の支えであり、「へその緒」でもある故郷へ帰れなかった太郎の無念を思うと、やりきれない気持ちになる。

後年、太郎は地元に名士として帰り、地元の風景を毎日描き歩いた。太郎は毎日ウキウキしながら出かけたという。太郎にとっては一番幸せな時期だっただろう。

アメリカに帰ってから、故郷にアトリエを建てる土地を探すが、戦中にスパイだと思われた太郎に土地を売る人は最後まで現れなかった。日本人として誇りを持ち、日本人を理解させるためにアメリカで活動した太郎の思いに気づく者は誰もいなかった。孤独感で絶望するときもあったに違いない。

最後の作品は故郷鹿児島の海辺を描いた『海浜物語』だが、そこにも太郎の孤独な思いが溶け込んでいる。

日本を愛することで、日本とアメリカを敵に回して戦い続けた八島太郎は、最後に日本に絵本を広げた功労者として表彰される。そのとき号泣したと言われているが、自分の気持ちをやっと日本人にもわかってもらえたという思いが胸に溢れたのだろう。

絵は八島太郎のオリジナリティの高い作品が多く、正直私自身あまり好きにはなれなかったが、八島太郎という人間の生き方のオリジナリティの高さには感動を覚えた。

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