見出し画像

時間をあやつる女の物語

私は坂倉なぎさ、高校二年生で、野球部のマネージャーをしている。
野球部のマネージャーになったのは、大好きな佐藤光太郎君がエースで四番バッターだったから。
でも自分から話しかけることはできずに、いつもベンチから光太郎君の活躍する姿を応援するだけだった。

ある夕方、ユニフォームの洗濯をしているときに、光太郎君が私の側にやってきて、「いつもありがとう」と言ってくれた。私は顔を赤くしくてうつむいてしまったが、これがきっかけで二人は付き合うようになるのだから、世の中の縁って本当に不思議だと思う。

「終わるまで待ってるから、一緒に帰ろう。確か坂倉ん家は俺と同じ方向だったよね」
光太郎君は明るい笑顔でそう言った。私の家の方向を光太郎君が知っているのに驚くとともに嬉しさが込み上げてきた。
「あっ、勘違いするなよ。俺は別にストーカーじゃないからな。ただたまに帰り道に見かけるものだから」
「そうなんですね」
私にはそれしか言えなかった。

光太郎君は一方的に自分の両親や弟の話をし、私はそれをただ聞いていた。十分ほどの帰り道だったが、私には永遠のように長く感じた。
「じゃあ、ここで。明日もよろしくな」

走っていく光太郎君の姿が見えなくなるまで、私は道端に立ちすくんでいた。

次の日の練習終わりに、再び光太郎君が私のところに来た。
「今日も一緒に帰るか。今度は坂倉の話を聞かせてほしい」
私は何を話していいのかわからない状態で、部室の後片付けをした。

校門の前で光太郎君は待っていた。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
私の謝罪に、光太郎君は
「何言ってんだよ。俺たちのために仕事してくれているんじゃないか」
と真っ直ぐに私を見て笑った。

「今度は坂倉のこと、家族のこととか、教えてくれよ」
帰り道、光太郎君に言われて、私は自分が母子家庭なこと、兄弟姉妹はいないこと、母は昼も夜も働いていて、土、日曜しか顔を合わせることはないこと、それなのに朝起きたときには毎日弁当が用意されていることなどを話した。
「へえ、坂倉ん家は大変なんだね。お母さんに感謝しなきゃいけないよ」
光太郎君の優しさに触れて、私の恋心は大きくなるばかりだった。しかし、引っ込み思案の私はただ光太郎君の質問に答える安いロボットのようにぎこちなかった。

ある日の帰り道、二人はいつものように一緒に町を歩いていた。
突然、「坂倉は今付き合っている人はいるのか」と光太郎君が聞いてきた。
「いるわけがないじゃないですか」
私は早口で答えた。
「それなら俺と付き合わないか」
光太郎君の言葉の意味が最初はわからなかった。
「えっ」私はつい聞き直してしまった。
「だからよー。俺と付き合わないかって言ったんだよ。俺も野球一筋だったから、今まで彼女を作るヒマがなかったけど、来年になれば野球部も引退するから。坂倉の頑張ってる姿見てて、いつもかわいいなって思ってたんだ」
光太郎君も少し照れているようだった。
「私でよければよろしくお願いします」
私はそう答えてしまってから、慌ててうつむいた。耳が発熱しているようだった。

家に帰ってからも光太郎君の言葉が耳から離れない。
「俺と付き合わないか」
確かに光太郎君はそう言った。片思いだと思っていたのに、両思いだったとは。頬をつねってみたが、夢ではない。自然とニヤニヤしてしまい、母に気持ち悪いと言われたが、それでもニヤニヤは止まらなかった。

でも、付き合うというのはどういうことなのか。毎日一緒に帰るだけでは、今までと何も変わらない。かと言って平日は野球部の練習が毎日あるし、休日といえども秋季大会間近の今は対外試合で遠征に行くことが多い。ディズニーランドでのデートなど行ける余裕もない。でも、せっかく付き合っているなら二人だけでどこかに出かけたい。いろいろなところで一緒に遊びたい。
私は寝る前に神様にお願いしました。
「光太郎君と一緒にいる時間を増やしてください」と。

夢の中に神様が出てきた。神様は、
「お前の望みを叶えてやろう」
と言った。
「お前たち二人には一日を二十四時間以上の時間を与える」
「本当ですか? ありがとうございます」
私は夢の中で喜びに飛び上がった。
「ただし、ただ時間を与えるというわけにはいかない。お前たちの人生の時間を先渡ししてやろうというのだ。だから、余分に使った分だけ寿命が縮まるわけだ。それでも良いか?」
神様が私の目をじっと見つめている。
「かまいません。若い貴重な時間をたくさん使えるのなら、その分の寿命が短くなってもいいです」
私は神様が消えないうちに慌てて伝えた。
「よし、わかった」
そう言うと、神様は消えてしまった。

次の日も光太郎君と一緒に帰った。部内では二人の仲はすでに公認になっていると光太郎君は言った。人気者の光太郎君を私なんかが取っていいのかしらという不安と、そんな光太郎君と付き合うことになった喜びが入り混じったような複雑な気持ちだった。
いつもの別れ道に来た。もっと二人でいたい、映画でも観にいきたいと思い、時計に目をやると、時計の針が逆方向に動き出し、三時間前になった。
隣では光太郎君がびっくりして私の時計を見ていた。沈みかけていた太陽が再び昇り始め、昼間の明るさになった。
「神様が願いを叶えてくれたんだわ」
私は光太郎君に言った。
「昨日、二人でいる時間が増えるように神様にお願いしたの。そしたら夢に神様が出てきて、願いを叶えてやるって言ったの」
光太郎君は疑うように坂倉を見たが、昼間に戻ったのは確かだし、自分の腕時計を見るとやはり三時間前になっていた。
「じゃあ、映画でもいくか」
光太郎君が嬉しそうに言った。

その日から毎日、私たち二人は部活終わりにデートした。
神様は何時間でもさかのぼれるようにしてくれたようで、光太郎君とディズニーランドにも行った。その帰り道、二人は初めてキスした。

二人は違う大学に進学したが、会おうと思えば時間をあやつればいいのだから、大学時代も頻繁にデートした。
光太郎君の十九歳の誕生日に二人は初めて体を交わした。

二人の愛は順調に育ち、大学卒業後に光太郎君がプロポーズしてくれた。私は涙を止めることもできずに、光太郎君の腕の中に顔を埋めた。

しかし、私は光太郎君に隠していたことがあった。あやつった時間はどれくらいか私は覚えていなかった。それにしてもだいぶ時間を使ってしまったことだけは間違いない。
私は光太郎君に時間を余分に使えるようになったことは知らせたが、その分寿命が縮まることは話していなかった。今さら光太郎君には本当のことなど言えるわけがなかった。

結婚式の当日、私は不安でたまらなかった。二人でよく、結婚したら子供は最低二人は作ろうと話していたが、私たちは寿命をだいぶ縮めてしまっている。子供が大きくなるまで二人は生きていられるのだろうか。子供の成人式を見られるのだろうか。それが心配で子供を作るのが恐かった。

結婚式が終わり、二人だけになれたとき、光太郎君は
「さあ、今日から子づくりに励むぞー」
と嬉しそうな声で、私に目を向けて言った。
「そうね。二人は子供作らなきゃね」
私は光太郎君に話を合わせた。

光太郎君は私が不安げなにしていることに、まったく気づいていなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?