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人と関わり傷つくのも楽しく生きるプロセスなのか...

僕はあまり人に対して怒ることがない(怒れない)のですが、あることをきっかけに長年付き合いがある先輩に対し些細な愚痴が溜まり、怒りが爆発して相手を困惑させてしまいました。自分ってこんなに他人をディスれるんだと驚くぐらい、感情的になりました。

(半年以上前に先輩へ不満を募らせていた時もその気持ちを投稿しました↓)


今年の1月にその先輩と、仲裁役の先輩を交えて3人で会いました。相手の先輩は、僕がなぜ怒ったのか理由を聞いて、それに納得できたら謝るつもりだったようですが、こちらが怒りを募らせた理由はどれも些細なことにしか感じられなかったようで、結局和解というより絶縁に近い終わり方になりました。

その不穏な空気はそのままに、半年近く経って6月下旬になりました。同じフロアにいる共通の知り合いが発破をかけてくれて、こちらが謝罪をする場を設ける形になりました。

その謝罪の場では僕がひたすら説教される形になりましたが、自分とその先輩以外にも3人の研究室時代の仲間がいてくれたことが本当に有難くて、「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を出せたことは周りの方々のお陰でしかありませんでした。

とは言いつつ、その先輩から「100:0でお前が悪いと理解してるのか」「お前は病気」と言われた言葉尻の不快感が残り続けて、後味の悪さが拭い去れない状態は続きました。

ここ2週間ほどインドネシアへ出張しましたが、物理的に離れてもその不快感は残り続けていました。

ところが、不思議なことに一時帰国で日本に帰ってきたら、その悶々とした感情が晴れていきました。

何が理由だかはっきりわかりません。一度インドネシアへ行ってリラックスできたというのはあるかもしれませんが、海外にいても苦々しい気持ちを抱えていました。

でも日本に帰国して、家族と外食したり、寮の友達と会う約束をするうちに、自分を待ち受けるものは薄暗いものばかりじゃないと感じたのかもしれません。

今まで何年も仲が良かった人だからといって、その先も同じ関係が続くことだけが正解じゃないのかもしれないと思うようになりました。

自分も不完全な人間だし、関わる相手も不完全だから、ずっと安泰な方がレアケースなのかもしれません。

自分を正当化する言葉を並べたくは無いですし、今回先輩に対して感情的に怒ってしまったのは方法を間違ったけれど、気持ちを素直に吐き出せない自分が今までにない挑戦をできた点では大きな意味のある失敗だった...と思います。

そして今後は、関わりを持つ相手の人が素直に会話してくれる人間を目指したいです。
感情をぶつけ合うということではなく、相手が欲していることを素直に出してくれるようなコミュニケーションを目指すことが、何より自分が楽しく生きることに繋がる気がしています。

ここしばらく、誰とも関わりたくない気持ちでした。でもそうやって悩むのは、他人と関わりたい気持ちの裏返しでもあったと思います。

誰かと共に生きるのは苦しいことも多いけれど、誰とも関わらず生きるのはもっと苦しいことかもしれません...

今いる場所で、今目の前にいる人に素直に向き合うことが自分らしさだったと、何周か回ってやっと思い出しました。

(サムネイル画像は夕食で余ったマグロの刺身を頬張る猫ちゃん。幸せの象徴。)

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