羽生結弦 第70回菊池寛賞受賞スピーチ全文 2022年12月2日

 この度は栄誉ある賞に選んでいただき、大変恐縮でありますし、この賞に恥じないようにより一層、努力を重ねていかなくてはと身が引き締まる思いです。

 私の人生は28年弱になりますが、そのほとんどが夢への道でした。希望と絶望の連続でした。

 4回転半ジャンプを習得しようとする前はオリンピックの連覇の夢でした。スケートを始めたのは4歳の頃でしたが、始めてまもなくオリンピックの連覇を夢見て過ごすようになりました。オリンピックで勝つためには4回転ジャンプを成功させなくてはなりませんでした。4回転ジャンプの前はトリプルアクセルや3回転ジャンプ、その前には2回転ジャンプや1回転ジャンプがありました。それら1つ1つが目標であり夢でした。

 今だと1回転ジャンプなんてとても簡単そうと思われるかもしれませんが、毎日の練習の中で成功する日も失敗しかない日もありました。むしろ失敗の日の方が多かったように思います。やっとできると思ったら、その10秒後にはもうできなくなっていて、それから10日以上も成功しない日もありました。

 4回転ジャンプでは1カ月に1回、成功するかしないかという時期もありました。成功すれば、また失敗する。失敗を繰り返して、その果てに成功が待っているのかと言われたら、それだけではありませんでした。実際は失敗しかない方が多いように思います。失敗しても、また失敗しにいく。それを繰り返して、それでも諦めずに何度も挑みました。

 私はオリンピックで連覇という夢をかなえました。そして私は、オリンピックで4回転半という夢をつかみ取ることができませんでした。その時、私は報われない努力もある、ということを感じました。そして、今までの努力の日々は無駄な日々だったとも思いました。夢はかなうわけではありません。努力が実るわけではありません。頑張ったところで夢がかなう人は本当に限られた人だけです。社会の理不尽によって諦めることもあると思います。自分自身を守るために諦めることもあると思います。期待される夢も、期待されない夢も、誰にも伝わらない気持ちも、誰にも届かない日々も、ただ同じように過ぎ去っていく日々も、ただ苦しみを味わい続ける日々もあると思います。夢がかなったと思われている人もきっとその夢のために諦めて、捨ててきたことばかりだと思います。

 私の人生は、たくさんの選択の連続でした。その選択が全て正解だったかどうかは分かりません。どんなに悩んで考えたとしても、選択肢にはするか、しないかしかありません。その2択の積み重ねで、選ばれてきた今が正解なのか、不正解なのか分かりません。ただ私は、その全ての選択に意味を持たせたいと思っています。たとえ、その選択によって失敗したとしても、ケガをしたとしても。何かを得ては失うばかりの日々に意味を持たせようと思ってきました。その時には意味がないように思えたとしても、いつか振り返ったときに意味があったんだと思って生きていきたいと思っています。

 挑戦はまだ続きます。まだまだ続けます。これから先の選択もたくさん迷い、悩むと思います。この選択があったから未来があるんだと思えるように今を選び続けます。このたびは、ありがとうございました。これからもより一層頑張り続けます


※同賞は、文藝春秋の創業者・菊池寛が日本文化の各方面に遺した功績を記念するための賞として1952年に創設。羽生のほかに、三谷幸喜氏、宮部みゆき氏、NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』、信濃毎日新聞社「五色(いつついろ)のメビウス」取材班が受賞


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