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ため息俳句 じゃがいもの花 

 心理的な変調が、身体感覚に反映するということは、よくあることだという。
 何にも意欲を感じることができないというのは、心理的な衰弱であろうが、それにともなって体を重く感じるとか怠いとかという症状が合わせてでてくる、そういうことだ。
 自分は、慢性的に腰痛に悩んだことがあるが、これはストレスや不安などと関係するのだと言われた。確かに、その頃、重い仕事を切れ目なくこなしていた。腰痛というのは、まったくもって、憂鬱にする。
 こんな愚痴めいたことをいっているのは、今朝起きてから、腰の直上の背筋の一番下辺りが、痛いのだ。この痛みは、やや唐突な気がするが、懐かしい痛みだ。
 それでも、朝には畑に出て隠元の苗を定植したりできたのだが、昼食を食べて、それから小一時間、昼寝をして起きたところ、胡坐あぐらをかいて前方に体を傾けるだけで、痛むようになった。
 朝、畑に出たのは、多少の腰痛なら体を動かすことでやわらげられることがあると、経験的に知っているからだ。確かに、畑にいる間、あまり苦痛ではなかった。
 問題は、前述したストレス不安であるが、本当はないことはないのだ。こういったことは、きちんとその発生する問題を自己洞察できれば、それだけで解消に向かうというのも理屈では知っている。
 では現在は如何いかん?実は、悩みごとといってもいいだろう当面の、否、否、積年ともいえる気がかりな案件があるのだ。このまま放置しておくと、酷くやっかいなことになるのは、明々白々である。自己洞察もへったくりもない、わかりきったことなのだ。ぐずぐずと時間ばかり経過してしており、不安なのだ、ストレスなのだ。それなのに、ずっと先送りし続けてきた。そのことを思うと、心臓の左上あたりがチリチリする。胃から空気が抜けてゆくような感触もある。
 これりゃ、だめだ。そう云えば先ほどの昼寝の前、テレビで独居老人の孤独死の話なんかしていた。あれを小耳にはさんだりしたのが、・・・・・・、刺激に・・・・。

 コクハクしよう。爺ィは、これでも面子めんつを無視できない人間であるのだ。ほんとうに、小さいやつだ。まったく、情けない奴だと・・・・・。
 問題に立ち向かうことは、すなわち爺ィの失態を晒すことことになる・・・・。これが、堪らないのだ。
 まったく、けつの穴のちっちゃい奴だ。

 でも、うじうじうじうじ・・・・、これが、ねえ、案外快感めいたりして。


憂い来しじゃがいも畑花盛り  空茶 

 
むだに咲くじゃがいもなれど晴れ晴れし 

蝶や蝶じゃがいも畑にちりぢりな


 そういえば、今朝、綿を蒔いた。昨年収穫した種である。昨年の倍の広さで蒔いた。