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ため息俳句95 都わすれ

梅雨入り前だというのに、台風が来る。豪雨が予報されている。既に高知の辺ではセンジョウコウスイタイが発生していると。一日、我ら夫婦も家中に垂れこめるほかない。妻はせっせと録画したドラマを消化し始めた。

先ほどから手持無沙汰なので、デジカメから撮りっぱなしでため込んである画像を眺めている。その一枚。

都わすれ

画像を見て、ああ勿忘草かと思ったのだ。が、一息おいて、いやこれは、ミヤコワスレだと、気づいた。そしてあの時も「白糸草が咲く森の先には、勿忘草は今年も咲いているだろうか」と思いながら、野草コースを辿っていったのだった。

白糸草


この二つの花の組み合わせは、森林公園へ自分が通い出して10年ほどになるのだが、その間ほぼ毎年見に来ていた。であるのに、「都わすれ」を「勿忘草わすれなぐさ」ととり違い続けている、これは老化ではなくて、生来の己の頭の悪さである。こうなれば、尻をまくってこう云うしかなかろう。

それも応都忘みやこわすれと忘れたり

木漏れ日や都忘は去年のまま

          注・・応=「おうおう」と肯定し承知すること


五月の連休の後であったと思う。武蔵丘陵深林公園の野草コース、白糸草の咲く森の先に栽培されている。都わすれは、園芸的に栽培されるが、もとは深山嫁菜、春に咲く野菊だそうな。この野草園の花は、花屋の店先で見かける都わすれよりも花弁の紫が淡いように見える、素人判断で心もとないのだが、深山嫁菜であるような、・・・、清楚である。

以前、写真を穫る楽しみはシャッターを切るその瞬間の心地よさにあると書いたことがある。だから、これからもハードデスクは埋まって行く。そして、数千数万回の快楽の一瞬の記録は、ハードデスクが壊されて消える。忘れてくれる人がいるわけで無い、スクラップされるのだ。