現代語訳『睦月連理𢢫(睦月連理玉椿)』その3

 金村《かなむら》屋夫妻が去った後、伊八《いはち》は襖《ふすま》を開けて押し入れからそっと出た。その顔は涙で泣きはらしていた。
「なあ、おさん。かねてより繰り返し言っていていることだが、先ほどの親方たちとのやりとり、何と美しい絆《きずな》であろう。そなたの神仏の加護が末恐ろしい。どうか悪く思わないでくれ。俺はいつまでもここにいても仕方のない身だが、そなたは一刻も早く病を治し、ここで働き続けるべきだ。江戸に着いたらすぐに便りを出そう。壮健《そうけん》だった者も明日には倒れ、いつ死ぬか分からぬ世だから、今後も妻を持たぬつもりだ。では、さらば」
 立ち去ろうとした伊八の裾《すそ》に、おさんが取り付いて訴えた。
「何とご無体《むたい》な。病に臥《ふ》せっているわたしを見捨てて行くというのですか。鬼よりも恐ろしい所業ではありませんか。このまま行かせはしません。絶対にこの手を離しません。どうしても行くというのなら、わたしを殺してからにしてください」
 情理《じょうり》を説き、声も立てずに泣く相手が気の毒で、伊八も涙を流した。
「愛《いと》しいそなたを後に残して行くのは、ひとえに羨《うらや》ましいからであって、金村屋の親方たちが実の子以上に大切に扱い、愛するかわいいそなたに辛苦を掛けまいと思いやっているからだ。俺の心はいつもそなたと共にある」
 語り掛ける声はむせび泣きで切れ切れになった。
 伊八はおもむろに一枚の紙を取り出して渡した。それはおさんに宛てた文《ふみ》だった。
「この仮の世において、俺はいくつもの夢の浮橋《うきはし》を渡りながら生きてきた。元は藁《わら》の上に産み落とされた、母の顔をも知らぬ孤児《みなしご》で、徳右衛門《とくえもん》殿に介抱されて我が子のように育てられ、様々な恩愛のおかげで何とか今日まで生き永らえることができたが、人の親の十倍以上の恩を忘れて捨て行こうとする不届き者だ。忘れようとしても忘れられず、口にしなくても、わざわざ文《ふみ》にしたためなくてもきっと分かっているだろうが、今宵《こよい》限りの我が身の上をこのように話すのは、愛するそなたを刃《やいば》にかけ、苦しませることになる悲しさに気後れしてしまったからだ。どうかこの先も息災で過ごし、亡き我が墓前で一遍《ぺん》の念仏を読み上げて欲しい。見知らぬ人の千部の念仏よりも、そなたのたった一言の手向《たむ》けが俺を未来へと導いてくれるだろう。これは、そなたの親方たちの愛情、底意を残さぬ義理のためでもある。昨日が支払いの期限だったのにもかかわらず、金を用意することもできず、この身を捨てる次第となったため、今宵《こよい》も金村屋の格子の前でうろたえたまま忍んでいた。親方たちに俺のことをよろしく伝えておいて欲しい。とにかく名残惜しい筆の立てどころだが、これにてさらばだ。南無《なむ》阿弥陀仏《あみだぶつ》、南無阿弥陀仏――」
 読み終える前に、おさんは相手にひしと抱きついた。
「――お前さまの心が嬉《うれ》しい。相手を大事に思うより、相手から大事にされる方が百倍の誠になるといいます。わたしもこのような有様で一向に病が治りそうにないので、お前さまと一緒に死ぬのが本望です。どこまでもお供します」
 二人が抱き合う様は、この世の悲哀を表しているようであった。
「もう覚悟を決めたか、おさん」
「お前さま、わたしに覚悟を尋ねるいうことはまだ疑いが晴れていないのですか」
「いや、そんなことがあろうか。魂《たましい》の緒を切って捨てていく臨終《りんじゅう》の折には、阿弥陀《あみだ》であるそなたに向かって手を合わせよう」
 そう言いながら、伊八はおさんに向かって伏し拝んだ。
 今や、現世を去る露地《ろじ》の戸は開かれた。これは冥土《めいど》への門出だと、背後で七ツ鳥が声を上げる。夜が明けぬ前に二人が金村屋を後にしたのもやむを得ぬことであった。

(了)


参考文献
『名古屋叢書〈第14巻〉文学編(一)』(名古屋市教育委員会)