現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その52)

「思いの丈を何度も訴えたのを頼みにしていたからこそ、御前《ごぜん》に呼ばれて訪問する隙がなくても、あえて文《ふみ》を届けさせなかった。しかも折が悪いことに母上が片時も離そうとしなかったため、なかなか退出できなかった。だが、翌日に遣わした使者に対して物忌みを理由に帰らせながら、このようなことになっている気配すら見せなかったのはどういうことか」
 悩み続ける二宮は自分の浅はかさを痛感する一方、尼君の薄情さをひどく嘆いた。
(続く)

 二宮はここ最近の出来事を振り返り、もっと早く音羽山に行くべきだったと後悔します。しかし、自分がすべての元凶であり、尼君と皇后が直接関与していることをまるで分かっていない様子です。

 いわゆる「擬古物語」(平安末期以降に書かれた王朝物語)に登場する好色な男性が、しばしば「他人を疑わないお人よし」として描かれるのは、「源氏物語」の影響を強く受けているのは間違いありませんが、作品が成立した時代も関係していると思われます。

 この「我身にたどる姫君」でも、本来は純真で素直な心根である「お人よし」を未熟さの代名詞として扱っているように、多くの擬古物語は「源氏物語」が成立した平安中期を舞台としながら、当時の常識や振る舞いは牧歌的で時代遅れだと見なしています。
(好色もお人よしも前時代の象徴で、セットでパターン化されるケースが多い)

 少し見方を変えると、他人を疑わないと生き残れなかった激動の時代だからこそ流行した、滑稽な人物造形だと言えます。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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