現代語訳「我身にたどる姫君」(第一巻 その5)

 月日を重ねるにつれて、姫君の容姿は光り輝くような美しさが増していった。
 しかし、粗末な屋敷で育てなければいけないことが尼君にはとても心苦しく、心を澄まして行うべき仏道の勤めもおろそかになっていた。
 出自についてほのめかされることもないため、自分から尼君に尋ねるのも小賢《こざか》しいと思う姫君は、ただおおらかに振る舞い、絵物語などで心を慰めたが、「それにつけても世に例のない境遇だ」と悲しく思っていた。
(続く)

 自分の生い立ちについて悩みながらも、美しく成長していく姫君と、その姿を嬉しく思いつつ、光の当たる場所に出すことができないもどかしさに悩む尼君が描かれています。

 以下、少しネタバレをします。
 ほとんど分かりきった内容ですが、先の話を絶対に知りたくない人はお気をつけください。

「我身にたどる姫君」には「素性の分からない子どもたち」が数多く登場します。その理由はご想像の通り「不貞」で、無責任な大人たちの行動がすべての元凶です。
 禁じられた恋やら許されぬ愛やらは大人側の言い分・事情であり、その結果としてこの世に生を受けたものの、「人に知られるわけにはいかない」という理由で見捨てられた子どもたちにしてみれば、たまったものではありません。
 しかし、作者はそのような不幸な子どもたちに救いの手を差し伸べます。
 最初に「『我身にたどる姫君』は王朝スキャンダルの物語である」と紹介しましたが、見方を変えると、性的スキャンダル(密通)によって人知れず生まれ、存在を抹殺されたまま育った「不義理の子」たちのサクセスストーリーと言うこともできます。
 改めて言うまでもなく、この「我身にたどる姫君」もそのうちの一人です。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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