エコとか個人で頑張って意味あるの?に対する返答
エコに目覚める以前の私はリサイクルもあまりせず、ペットボトルを普通のゴミに捨てることもありました。当時の言い分は、
「本当にペットボトルが悪なら、リサイクルするかどうかを消費者の気分に任せるのではなく、政府が法律を作って企業や自治体に販売制限や罰則を課するはずだ」
というものです。
「だから一個人がエコとか頑張っても意味ないよね」と本気で思っていました。
自然の中にゴミが落ちているのを見て心を痛める感覚はあっても、別に自分の問題として捉えることはなく、政府がなんとかしてくれないのかなと他人事に考えていました。
そんな考え方が変わったきっかけは2020年のコロナのパンデミックでした。
2023年現在では考えられないことですが、コロナが中国の武漢で確認された当初、日本の国立感染症研究所は陽性者の行動を追跡しどのようにコロナが広がっていったかを報告していました。
例えば以下のレポートは日本国内初の武漢渡航歴のない第一例目の患者がどのように患者2、患者3に感染拡大していったかを報告しています。
このようなレポートを日々読む中で、個人個人のつながり、小さな行動がパンデミックという大きな現象を引き起こすんだということを実感しました。
当時は知り得なかったことなので誰も責めるつもりはありませんが、
もしツアー会社の社長が大事をとってツアーをキャンセルしていたら?
もし患者1が発症後すぐに業務を中止していたら?
もし患者2と3がマスクをしていたら?
と考えていくと、大きな現象も個人の小さな行動の積み重ねの結果かも、と感じませんか?
世界中が混沌としていたロックダウン中に良いニュースもありました。ベネチアの近郊にイルカが現れた(参照記事)、65%の都市、84%の国で大気環境の改善がみられた(参照記事)、など普段の行動を制限することで環境に良い影響が観察されました。
ロックダウン中のような行動制限を今後するのは難しいかもしれません。
でも、消費やゴミの量やCO2の排出を10%ぐらい抑えたりすることはできそうな気がします。
考えてみると世の中のトレンドは、個人の趣味趣向、行動の変化から作られていくことも多いのかもしれません。
多くのブランドが行っている市場調査では、座談会で一般消費者の意見を聞いて商品企画の参考にすることがあります。ざっくりとした例ですが、飲料水のメーカーが新しい商品のための座談会を開き、参加者に健康志向が見られたので、無加糖の野菜ジュースを売り出してみたり。
また、市場調査の中には、急成長の分野をいち早く発見するサービスもあります。ギリシャヨーグルト、オーツミルクなどが消費者の需要先行で市場が拡大していった商品の例です。
消費者の変化に大企業が対応することって意外とよくあることなのです。
法改正のような大きな流れに見える変化でも、市民の活動から変わっていった法律もたくさんあります。
ニューヨークに住んでいて一番に思いつくのは、同性婚の合法化です。私がニューヨークに住み始めた2008年は、ニューヨーク州では同性婚が合法化されていなく、でも近隣のマサチューセッツ州やコネチカット州で合法化され始めて、同性婚合法化の署名運動やデモ活動が盛んだったと記憶しています。2011年にニューヨーク州で合法化されてから10年以上経った今、職場で男の人が夫の話をしたり、女の人が妻の話をしたりしても気に留める人はあまりいません。
NYCのLGBTが歩んできた歴史は長く、「ニューヨークのGay Pride Marchの記念すべき1回目が行われたのは、1970年。5,000人が参加した」そうです(引用元)。当時ニューヨーク市の人口は789万人(参照元)。人口の0.06%の人数のパレードから始まった活動が、いろいろな人を巻き込んで、40年後の法改正につながったと思うと、感慨深いです。
こう考えていくと、社会が変わるのは、私たちが思っているよりも個人の行動が関係しているかもしれません。
話は戻って、「エコとか個人で頑張って意味あるの?」と過去の自分に聞かれたとき、今ならこう答えるでしょう。
個人で減らせる消費やゴミの量は微々たるもので、それ自体は環境問題を解決しないかもしれない。でも、社会は個人の意思表示や行動から変わるので、日々少しずつでもサステナブルな行動を取り入れていくのは意味があると思う。