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何者にもなれない、自分はただのモブであると、と認めることは勇気がいるしツラい、しかしそれが1番ラクなことなんだと思う

人はいつもどこかで自分が何か特別な存在で、何者かでありたい、と心の底で思っている、何歳になっても中二病のようなところがあります。

本当は人口のうちの9割以上がずっとモブの人生であり、何者にもなれないのが当然であるのに、私たちはメディアやSNSやYouTubeなどの影響を受けすぎてしまっているがゆえに、自分も沢山の注目を浴びているインフルエンサーたちのようになれるのではないか、と勘違いするような錯覚を起こしてしまうのです。

ほとんどの人は大勢の中の1人であり、その中に埋もれて一生を終えます。

しかし、それでも自分の家族や友人たちにとっては大切で特別な人であり、勤めている職場の中では十分に存在感を発揮できているのだと思います。

本当はそれで十分すぎるほど十分であり、幸せなことなのです。

しかしながら、

「それでは物足りない」
「もっと自分の能力を引き出して活かしたい」
「自分はきっと何者かであるはずだ」
「世の中で目立ちたい」
「もっと広い範囲の人たちに自分を知らしめたい」
「自分の良さを認めて貰いたい」
「自分のファンを作って応援してもらいたい、チヤホヤされたい」

このような地獄のような終わらない承認欲求を持ち続ける人も少なくありません。

実際に、結構な数の中年の人たちとかお年寄りまで、あらゆるライブ配信アプリなどで毎日毎日コツコツと生配信をし、細々とではあっても着実に自分のコミュニティを作り上げている配信者たちがいます。

お小遣いを稼ぎたい目的というよりは、自分の存在を認めてほしい、自分の話を聞いて欲しい、という人たちの集まりのような気がします。

それはそれでステキなことだと思います。

自分は何者でもないとわかっている。人気者でもない、スターでもないとわかっている。

でも誰でも良いから自分と繋がってほしい、という素直な心が表れていると思うからです。

自分というのは所詮モブであり、何者でもないただの1人の日本人、地球人であり、そんな自分だと腹の底から認めていれば、SNSでいいねが全然つかないことがあっても気にならず、他人の評価など気にせずに自然体で生きられるのだから、1番ラクな状態なはずなのです。

そして、自分はきっと何かの能力があるはずだ、自分は特別な何者かであるはずだ、と今ここにいない自分に期待をしすぎてしまうことが最もツライ地獄なのだと思います。

勇気がいることだけれど、自分なんて何者でもないけれど、尊い1人の存在なんだと自分自身を認めてあげれば、もっと気楽に軽い気持ちで毎日楽しく生きていけるのかな、と思うようになりました。


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