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流れよわが涙、と私は言った

テーマ:フリー

わりと最近、失恋した。

我ながら、一世一代の大失恋だったと思う。

この年になって、まだこれだけ心が動くのかと、こんなにも泣けるものなのかと驚いたものだ。

感傷にひたりきってポエムでも吟じようかとも思ったが、久しぶりに「泣く機会」に恵まれたことだし、以前から気になっていたことについて考えてみることにした。

それは「人はなぜ、雨の中で泣くのか」ということだ。

なんてちょっと響きがいい感じで言ってみたが、実際には、フィクションの世界以外で雨の中で泣く人を私は見かけた記憶がない。

そりゃそうだ、よほどの事情がない限り、雨にぬれるような状況で傘もささず、屋内へ移動もせずにわざわざその場に立ち尽くして泣くという行為は非現実的だ。人目につく場所で実践すれば、通報されるおそれもある。

しかし、少なくとも私のなかで泣くという行為と雨の情景は強く結びついている印象がある。それはやはり、映画やアニメなど、フィクションでの描写が影響しているのだろう。

映画や物語における雨のシーンは、しばしば登場人物の心理状態と密接にリンクしている。キャラクターが泣いていれば、雨は悲しみや抑圧の象徴として降り注ぐ。空は暗く、雨雲で陽の光は遮られ、肌をたたく雨粒が人の心にまで暗い影を落とすわかりやすい演出だ。

またキャラクターが雨粒を顔に受けながら泣くシーンは涙を見られまいとする強さや感情の奔出を、雨の中泣きながら困難や試練を乗り越えたあとに空が晴れ渡る描写は浄化や再生の象徴として、観るものの心を強く打つ。

人が雨の中で泣きたいかどうかではない。雨だから人が泣くわけでもない。フィクションの世界では、登場人物が泣いているから雨が降るのだ。異論は認める。

現実の世界で人が雨の日に泣く合理的な理由としては、神経伝達物質セロトニンの減少が考えられる。セロトニンは別名「幸せホルモン」とも呼ばれ、精神を安定させる働きをもつ。日照不足によるセロトニン分泌量の低下が、雨の日に気分が落ち込みやすくなることにつながるようだ。

また気圧の変化に敏感な人なら、雨が降るとイライラしたり、感情が不安定になったりする状態に心当たりがあるのではないだろうか。これは、気圧の影響で自律神経が乱れたことによる不調の表れだ。

雨音にはリラックス効果があるともいうが、心が安らいだ瞬間に、ふと知らずあふれ出た涙に驚くなんてこともあるかもしれない。

人が雨の中で泣きたくなる理由は、気圧とホルモン。自分で調べておいてなんだが、身もフタもない。

しかしなるほど、こうしてみると「人が雨の中で泣く」行為そのものは、別段不思議でもなんでもない、ごく自然なことなのだな。理性の壁さえ取っ払えば。さらに掘り下げたら、どんな人でも泣かずにはいられなくなる環境要因の構築、なんてのも考えられそうだ。

自然なことであれば、ぜひやってみたいのが実際に「雨の中で泣く」ことだ。だって絵になる。なんならショー◯ャン◯の空ばりに両手を大きく広げて、この思いを開放してしまいたい。

でも無理。ギリ理性あるから。私がシ◯ーシャ◯クやって通報されちゃったら、老いた母に迷惑がかかるから。ワンコ心配しちゃうから。

相手からの連絡が途絶えてしばらくたった頃、ようやく涙が出るようになった雨の夜に、私は細く窓を開けた。ひんやりと湿った空気と一緒に、空気を洗う雨の音、耳を打つ雨だれの音が水の匂いをまとって部屋に入ってくる。

本当は、自分が雨の中で泣きたい理由なんてわかっている。

一緒に泣いてくれる、誰かにそばにいてほしいのだ。





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