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とうの昔からSDGsを地でいく小さな食料品店の話

テレビ番組で食品ロスの問題が取り上げられていた。ロス削減のために「賞味期限切れ商品を安く販売する店」が生まれているという。それを見ながら、ふとある店のことを思い出した。

私の故郷である瀬戸内の島にあった小さな食料品店。チェーンストアの台頭や後継者不足など、時代の流れとともに地元の商店が次々と廃業していく中、必死に生き残っていた昔ながらの店だ。

昭和を感じさせる緑のテント看板。夏には打水された店先に葦簀(よしず)が立てかけられ、それをくぐった先に人のいい小柄なおばちゃん店主が立っている。レジ前に並ぶ仕入れたてのうどん玉や天ぷら、ばら寿司やおにぎりの鼻先香が食欲をそそる。食料品が所せましと並ぶ店内は、昔懐かしい八百屋の匂いがしていた。

O-157や食品偽装問題などで食の安全にナーバスになっていた2000年代初頭。店での売れ残りや食べ残しなど、事業系食品の大量廃棄が当たり前だったそんな時代に、この店では賞味期限切れの商品が平気で並んでいた。

「おばちゃん、これ賞味期限切れやで」とクレームをいう客に「でも食べられるやろ?」と平然と返す店主。全く揺らぐことのない確信に満ちたその一言に「そうだよな、もったいないよな」と納得させられ「捨てて当たり前思考」は一瞬でリセットされる。

賞味期限切れは安く売ってくれたので、それを求めて通う客もいた。通常商品を定価で買うも、期限切れを安く買うもお客様次第。たまに「いや、これはさすがに(笑)」と丁重に棚にリリースせねばならないひっかけ問題も混じっていたので、この店の客はとにかく商品をよく吟味するようになる。

「自分の買うものは自分の責任で選ぶ」そんな姿勢が身につくこの店を、仲間内では「消費者を育てる店」と呼んでいた。「よう見て買うてな」という大らかなスタンスが心地いい、時代の先端をいくサステナブルな店であった。

あれから15年——
あの店は、おばちゃんは、どうしているだろう?
どうにも気になって、私は翌日船に乗った。

「なくなっていたらどうしよう」
店が近づくにつれ不安になる。祈るような気持ちで交差点を曲がると、目印の緑が見えた。視線を落とすとガラス越しにぼんやり光る蛍光灯。恐る恐る店に近づき引き戸に手をかけたとき、レジにちょこんと座るおばちゃんが見えた。(ガラガラガラー)
一人で勝手に感動して涙が出そうになっている怪しい客に、おばちゃんは優しく「いらっしゃい」と言った。

ひと回り小さくなったおばちゃんは「もう91よ」と笑う。シワが刻まれたその顔は今もツヤツヤで、饒舌な様子は当時と変わらない。店内は相変わらず雑然としていて、あの八百屋の匂いがした。

ここに来たいきさつをおばちゃんに話しながら、ともに昔を懐かしむ。今ではゼロリスクを望む人が多く、賞味期限切れは売れないから欲しい人にあげているのだという。田舎の小売業の厳しさを聞きながら「期限切れを売りたくて売っていたわけじゃない」実情を改めて知る。

この店を、おばちゃんを「応援したい」という気持ちが沸々と湧いてくる。日々、スーパーで棚の奥からできるだけ新しい商品を選んでいる私が、今日はこの店で賞味期限の一番近いパンを選んで買う。

「私が死んだらもう店は畳むんよ」そう呟きながらもおばちゃんは気丈にレジを打つ。「3033円」そう告げて、頼んでもいないのにレジ袋に丁寧に商品を入れてくれる。小銭を取り出そうとする私に「えぇえぇ、まけとくわ」と言う。懐かしいやり取りだ。

「また来るから元気でおってよ」とおばちゃんの手を握る。「うんうん、ありがとうな」と、握り返してくれたおばちゃんの手の温かさが沁みる。

どこで、何を、どのようにして買うのか、何のために—— そんなことを改めて考えさせてくれたこの店は、やっぱり「消費者を育てる店」だ。

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