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「読み書き障害」がある僕が、学ぶ楽しさを持ち続けられた理由。 〜合理的配慮を受けて学んだ若者の今を追う〜

本記事は、宣伝会議「編集・ライター養成講座」で、取材・執筆した卒業制作(45期・令和4年12月25日提出)を、一部修正したものです。

「障害者差別解消法」の改正に伴い、令和6年4月より行政機関だけでなく民間事業者も、障害のある人への「合理的配慮の提供」が義務化される。しかし、その事実や詳細については、まだまだ認知されていないのが現状だ。

教育現場では、7年前から「合理的配慮の提供」が始まっており、特別な教育的支援を受けて学んだ子どもたちが社会に出始めている。合理的配慮とは何か、それがどのような効果をもたらすのか。

困難な状況がありながらも、自分に合った学び方で力を蓄えた若者が、いきいきと夢を追う姿を通してその意義について考える。


高尾耕大(たかお・こうだい)さん
読み書き障害があり、高等学校で合理的配慮を受けて学ぶ。
県内の農業大学校を卒業後、香川県小豆島にある実家の
オリーブ農家「農業生産法人株式会社高尾農園」で働く。

「先生、お久しぶりです」
6年ぶりに会う青年は、冬にもかかわらず日に焼けた顔で、はにかみながら名刺を差し出した。肩書きは「農夫修行中」。
小豆島にある実家のオリーブ農園で働く、高尾耕大さん(22歳)。彼が高校1年生のとき、筆者は教員として彼の教育相談を担当した。

ノコギリ一本で山を開墾し、こだわりのオリーブを育てている父親の背中を見て育った彼は、高校に入学してまもなく「父に憧れているんです。将来は、家業のオリーブ農園を継ぎたい」——そう熱く語っていた。その彼が一歩一歩、夢に近づいている。しかし、ここに来るまでの道のりは決して平坦ではなく、さまざまなトライ&エラーの連続だった。

「自分だけできない」のはなぜなのか、分からなかった小学生時代

学習障害(LD)と診断されたのは、中学1年生のとき。特に、漢字やアルファベット、カタカナなどの読字障害(ディスレクシア)や、書字障害(ディスグラフィア)があることが分かった。言葉の概念や文章の理解ができないわけではない。文字情報のインプットとアウトプットに困難がある。

「長い文章を読むときは、全部の文字がポーンと一気に目に飛び込んでくる感じ。それを処理することが難しい」と彼は言う。

出典:河野俊寛(2012)「読み書き障害のある子どもへのサポートQ&A」読書工房

書かれている文章を読むとき、一般の人の目の動きは
行ごとに左から右へと順に追っていけるのに対し、  
「読み書き障害」がある人の目の動きは、文字を追う
のが難しい状況であることが分かる。                      
出典:河野俊寛(2012)「読み書き障害のある子どもへのサポートQ&A」読書工房

「読み書き障害」と一言に言っても、上の図のように文字の見え方が一般の人と違う例もあれば、音韻処理(音と文字を組み合わせること)が難しい場合など、人によってその原因や状態は異なる。

「自分にとってはそれが当たり前だったから、人との違いに気づきようがなかった」——小学生低学年のころは、宿題の時間になると怒ったり騒いだりして、人の何倍も時間がかかった。ノートの字は線からはみ出し、汚くて読めなかった。

高学年になっても状況は変わらず、「周りの子はテストでいい点をとるけど、僕はとれない。『自分はバカな人間なんだな』と思ってた」
分かっていたのは目の前の結果だけ。
劣等感に打ちひしがれた。

学生サポーターとの出会いが、勉強嫌いな少年の好奇心に火をつけた

学ぶ意欲を失ってもおかしくなかった小学生時代。しかし、そんな彼の知的好奇心を掘り起こし、耕してくれた人たちがいる。実家の高尾農園に毎年やってくる、京都大学の学生サポーターだ。縁あって、農園の除草作業や収穫などを手伝いに来てくれている。
「もう10年の付き合いですけど、自分の人生にすごく影響を与えた人たち」

初めての出会いは小学5年生のとき。
内気な彼に、農業サークルの先生が声をかけた。
「京大生はどんなことでも答えてくれるから、好きなこと聞いてみなよ」
自信のない彼は(相手にされなかったらどうしよう…)と不安だったが、勇気を出して日頃の不思議を聞いてみた。

「地球はなぜ丸いの?」「海はなぜ青いの?」
「夜になるとなぜ暗くなるの?」

すると学生たちは、物理も化学も分からない小学生にも分かるように、分子や電子をマリオカートのカメに例え、身振り手振りで楽しく説明してくれた。
「なるほど!」
分かる楽しさと、自分に向き合ってくれた嬉しさが同時に込み上げた。その後も、学生たちは小学生のあふれ出る探究心に真摯に向き合い、学問の楽しさを教えてくれた。

「あのとき軽くあしらわれていたら、もう人に聞くことをやめていたと思う」勉強がとことん嫌いになるかどうかの分岐点だった。
その後も、相変わらず学校の成績は悪かったが、知的好奇心に火がついた少年は、雑学だけは周りの誰にも負けなかった。

中学生になって学習障害があることが分かった高尾さんは、医師の意見をもとに、学校でできる支援をお願いした。「聴覚からのインプットが有効」なことから、ボイスレコーダーの使用が許可され、家に帰って音声を聴きながら授業の復習ができるようになった。定期考査の試験問題の拡大やルビ振り、試験時間の延長などの配慮もされた。

「勉強に熱心につき合ってくれたのは母です。僕が覚えやすいようにクイズ形式で問題を出してくれた。まだデジタル教科書がない時代に、あの分厚い教科書の1ページ1ページに、手書きでルビを振ってくれました」

できることから始めた。何が正解か分からないし、すぐに効果があらわれるわけでもない。
「いつか咲くかもしれない種を、こつこつと蒔く」そんな地道な作業だった。

特別な教育的支援を必要としている児童生徒は、通常学級に8.8%

文科省の令和4年度「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」によると、高尾さんのように「知的発達に遅れはないものの、学習面または行動面で著しい困難を示す児童生徒」は、小・中学校の通常学級に8.8%在籍している。これは1学級のうち約3人の子どもが、特別な支援を必要としているということ。しかし、そうした困難があっても適切な支援を受けることができず、学校不適応を起こしている子どもも少なくない。

令和3年度の全国の小・中学校の不登校の数(児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査:文科省)は、前年度から約25%増の24万4940人。その要因は「無気力・不安」が半数近くを占め、「学業の不振」も含まれている。

「不適応の子どもたちの中には、何かしらの障害が隠れている場合もある」と、香川大学教育学部の坂井聡教授は言う。そのような子どもたちが、やる気を失うことなく、学校生活に参加できるようにするためには何が必要なのか。

香川大学教育学部特別支援教育講座 坂井 聡 教授  
言語聴覚士。公認心理師。バリアフリー支援室室長。
障害児の教育方法やコミュニケーション指導が専門。
教育学部附属特別支援学校校長も務める。     

「障害は環境の側にある」—新しい障害観へのアップデートが必要

そもそも「障害」とは何なのか——
高尾さんの支援にもかかわった坂井教授によると、「障害はその人にある」という旧来の考え方から、「障害は環境の側にある」という新しい障害観に変化しているのだという。

「以前は、『ICIDH』(国際障害分類・1980年)の考え方が主流でした。『何らかの機能障害がもとで、日常生活や仕事、余暇に支障をきたす能力障害があり、社会的不利が生じている』といった場合、能力障害の部分を教育で改善することで、社会的不利を取り除きましょうという考え方」

「子ども自身を鍛え、できないことはできるようにする、という訓練的な発想です。例えば、読字障害のある子どもに『カタカナが読めないなら、読めるようにして受験しなさい』ということ。でも、読字障害があってカタカナが読めない子どもは、いくらがんばってもそれを読めるようにはならない」

「それに対し、今は『ICF』(国際生活機能分類・2001年)の考え方が主流です。参加できないことや、活動できないことが障害。例えば、車椅子で生活する人にとっては、階段が障害だということ。この車椅子ユーザーにとっての階段が、世の中にはまだまだ多い。この階段(障壁)をスロープ(バリアフリー)にかえるような方法を考えて、多くの人が参加・活動できる社会にしていかなければ」

「合理的配慮」は、同じ眼鏡ではなく、同じ様に見える眼鏡をかけること

そうした障壁を取り除くために必要な手立てが「合理的配慮」だという。「障害のある人から申し出があった場合に、個別の状況に応じて行われる配慮です。『合理的配慮の否定は、障害を理由とする差別に含まれる』とされています。もちろん可能な範囲があるので、実情に合わせて落としどころを考えていく必要がありますが、要は『一人ひとりが、度に応じた眼鏡をかけられるようにする』ってこと。『みんなが同じ眼鏡をかける』のではなく『みんなが同じ様に見える眼鏡をかける』という発想です」

出典:IISC http://madewithangus.com

左)みんなが同じ眼鏡をかける
右)みんなが同じ様に見える眼鏡をかけるの意。
誰もが参加・活動ができるように、
それぞれの状況に応じた配慮をするということ。

高等学校入学と同時に、学校での「合理的配慮」が義務化

地元の公立高校を受験した。入試では、中学校からの特別措置願いにより、問題文の多い教科の試験時間の延長と、問題文のルビ振りの配慮が行われた。

合格発表は、みんなが行く時間を避け、夕方に見に行った。自分の番号があるのが見えた瞬間、ホッとして足が震えた。

平成28年4月「障害者差別解消法」の施行により、学校での「合理的配慮の提供」が義務化された。それと同時に入学した高尾さんは、医師の診断などをもとに「合理的配慮」を申し出た。

「これ分かる?分からない?」
先生たちはまず、できることとできないことを把握し、障害によって生じる学校生活の中での不利益を調べてくれた。それによって、彼自身も客観的に自分の状況を知ることができた。できない部分を補うための情報や手段をどんどん提示してくれた上で、「いろいろやってみて自分に合うものを探せばいい。選ぶのはあなただよ」と長い目で見てくれた。

当時、学校では禁止だったタブレット端末の持ち込みが許可されたことで、授業中の困難は軽減した。板書は写真に撮って拡大、アプリを使ってまとめたノートは、データ提出が認められた。まだ出始めだったデジタル教科書を取り寄せ、読み上げ機能で聴いたり、拡大したりできるようになったことは画期的で、それによって膨大な量のルビ振りが必要なくなった。試験時は1.3倍の時間延長やルビ振り、用紙の拡大など大学入試と同等の対応がされた。

当時の試験問題
B4サイズをA3サイズに拡大し、本文との
間隔が空いた見やすいルビが振られている。

「でも英語だけは、全くダメでした」
他の教科は少しずつ点数がとれるようになったが、アルファベットがネックだった。朝の単語テストは、ほぼ0点。見かねた英語科の先生がボカペンを使って、リスニングでテストする方法を提案してくれた。みんなと同じテスト用紙にシールが貼られており、ペンで触れるとALTの先生が録音した声が、イヤホンから聴こえる。聴いた単語の意味を、みんなと同じく日本語の選択肢から選んで解答した。

VOCA-PEN(ボカペン)
録音ができるペン型ICT機器。問題集とテストの
両方にシールを貼り、リスニングでインプット  
できるようにした。                                            

リスニングでのテストの効果は絶大だった。「読む」ことでは全く認識できないアルファベットが、聴けば言葉として覚えられる。その後、単語テストは満点をとれるまでになった。「定期考査の英語は、卒業までに得点が3倍になった。最初何点だよって話だけど」

文字情報のインプットとアウトプットを代替策でカバーすることで、本来の力が発揮できるようになってきた彼は、テストの点を隠さなくてもよくなった。
「僕の点数を見て、仲間はびっくりしてた。『え、俺よりいいやん?』って。僕の点数が、ずっとみんなの安心材料だったみたい」と笑う。
点数の良し悪しにかかわらず、同じ土俵で学べるようになったことで「これが自分だ」とオープンにできるようになったという。

「高校に入学するまでは、濃い霧の中にいた感じ。何も見えず、どこにいるのかも、どこに向かえばいいのかも分からなかった。でも、自分にとっての困難がクリアになって、自分に合った方法が分かって、それを求めていいって知れたことで、目の前の霧がスーッと晴れた。目の前に現れた道をずっと進んでいけば、行きたいところにたどり着くと思えた」と、彼は当時を振り返る。

言葉は伝わるだけでオールオッケー!それを実感したアメリカでの事件

高尾農園を訪れたアメリカ人農夫からの招待を受け、高2の春休みに弟とサンフランシスコに行った。初の海外だが、2人とも英語には全く自信がない。弟がぎりぎりキッズサービスを受けられる年齢だったこともあり、国際線の乗り降りはスムーズだった。

「入国審査は大して難しくない」と父から聞いていた。なのに、目の前の審査官がものすごい剣幕でしゃべっている。
「・・・・・・。」
何を言っているのか全く理解できず、なすすべがない2人は、またたく間に別室に連れて行かれた。

いかつい人たちの中に放り込まれた、田舎から出てきた坊主頭の頼りない2人。完全武装でライフルを握る恐いおっちゃんたちがこっちをにらんでいる。
「ヤバいヤバい……」

不安に耐えること1時間。担当者が連れてきた通訳者に話しかけられた瞬間、彼は叫んだ。
「に、日本語、通じるぅ〜〜!!」
通じない絶望の後の、通じるありがたさに涙した。

「最近、アメリカにやってくる子どもが、自爆テロを起こす事件が起きてるの。あなたたち、テロリストと疑われたのよ」
「ええーーっ!?」

読めなくても書けなくても、言葉は伝わるだけでオールオッケー。
「日本でなら、もう何でもできそう!」
日ごろ不便を感じていた彼が、それは大した不便ではないと気づいた瞬間だった。

「自己理解」と「自分に合った手段の獲得」が、自分らしく生きるための第一歩

自信がついた彼は、自分の良さにも目が向くようになる。中でも一番の強みは「自分大好きになったこと」で、オンリー1でよかった自分が、ナンバー1を目指したくなったそうだ。弱み、強み、自分に合った手段……彼は試行錯誤の過程で、自己理解を深めていった。

当時の担任だった西条知子教諭(現香川県立坂出商業高等学校教諭)は、「学ぶ意欲を継続させるには、個の特性に応じた学習手段を身につけることが欠かせない」という。

「学習には動機づけが大切です。彼には目標も意欲もありましたが、力をつけるための手段がなければ、モチベーションは維持できません。本人の特性に応じた学習手段を身につけた上で動機づけをすることが、学力を伸ばす上では重要なことでした。あとは身につけたことを、自分のものにして自立していけるか。学年が上がるにつれ、彼の主体性を優先していきました」

教育現場では、子どもたちの自立を目指して支援を行っている。しかし、その目指すべき「自立」をどう捉えるかによって、教育の方向性は違ってくるのではないか。

「自立」って、何でも一人でできるようになること?

「あなた自立してますか?」
坂井教授は、教員研修で先生たちにこう質問した。すると意外にも「してません」と答える人が多かったと言う。学校の先生ができていない自立を、はたして子どもたちができるのか?

「ハードルが高すぎるんです。自立って、何でも一人でできるようになることではない」教授はそう言って、さらに続けた。「自立とは、尊厳ある人として認められながら、周囲のサポートを受けて、自分らしく生きること。人や物に頼ってオッケーなんですよ。だから誰にでも自立は可能。そのことを、みんなで共有できたらいい」

「助けてもらったらダメ」「一人でできないとダメ」と言われ、苦手なことを克服することにとらわれ、気力を失っていく子どももいる。苦手なことは代替策や人に頼ることでカバーし、自分の「強み」や「興味」に時間を費やす方が、健全なのではないか。

「自立」の概念を見直し、「自分らしく生きる」ための手段や活力を育む教育への転換が必要だ。

使える武器と環境変化で、特別な配慮が必要なくなった

高校で、自分らしく生きるための手段と活力を手に入れた高尾さんは、県内の農業大学校に進学。「入学後は、特別な配慮を申し出る必要がなかった」と言う。
ここ数年で、学習環境は大きく変化した。ICTの活用は当たり前になり、タブレット端末の持ち込みも課題のデータ提出も、わざわざ許可を得る必要がない。環境が変われば、彼の代替手段が人とは違う「特別なこと」ではなくなった。

発想を変えるだけで、フェアな環境はすぐにでもつくれるのかも知れない。「みんな同じ紙の教科書」「ノートは手書きでなければ」などという既成概念が、「個別最適な学び」の弊害になってはいないか。改めて見直す必要がある。

ただ今、農夫修行中!

農業大学校教育助手として1年勤務したのち、高尾農園がオリーブオイルを卸している広島のフランス料理店で5ヶ月間修行した。お客様の前で料理に直接オイルをかけ、「いかがですか?」と生の声を聞く。それは生産者として、とても貴重な経験だった。

秋には、オリーブオイルの採油から濾過までを初めて一人で行った。「父と味が変わったと言われるのが一番怖い」と苦笑いする。それもそのはず。昨年父親が絞ったエキストラバージンオイルは、フランスの権威あるコンテストでブラックラベル(世界一)を受賞している。父のように妥協せず、一生懸命に手間をかけた。高尾農園のモットー「どこまでも真面目で真っ直ぐな」エキストラバージンオリーブオイルだ。

高尾農園のオリーブ畑 エキストラバージンオイル
耕大ver.第1号

左)ミッション種 右)ルッカ種

夢はつづくよ、どこまでも。

学生サポーターが耕してくれた知的好奇心という土壌に、みんなで地道に蒔いた種が、しっかり芽を出している。

4人兄弟の長男。将来は兄弟で高尾農園グループをつくることが夢だ。オリーブ・アスパラ・養蜂・柑橘……来年からは養蜂場での修行が始まる。

「『オリーブオイルといえば、ミスター高尾のオリーブ農園』と言われるような、世界で通用するブランド力をつけたい」
「文化功労者に選ばれるくらい、農夫の道を極めたい」
「いつかメルセデスのゲレンデを買う。それと、25歳までにハーレーでオリーブ畑を走る。それと、それと……」

芽生えた若者の夢は果てしない。

事務所で夢を語る高尾さん
壁面には、エキストラバージンオイルの鑑定書や
多くの受賞額が飾られている。                          

努力すべき正しい方向性をサポートすることが一番のキーになる

——もし困難が理解されず、みんなと同じ学び方しか選択肢がなかったらどうなっていたか。

「うーん……」と少し考えてから、高尾さんはこう答えた。「完全にやる気を失って、今ごろ廃人になっていたんじゃないかな」
そう思う彼は、自分と同じようなことで困っている子どもたちにも「自分に合った参加の仕方を見つけるチャンス」があって欲しいと案じる。

「子どもが人との違いに自分で気づくのは難しい。だから、周囲の気づきが必要です。よく『努力は報われる』とか『報われない』とかいうけど、要は努力の仕方。努力すべき正しい方向性をサポートすることが、一番のキーになると思う」

「自分なりの方法が分かったら、勉強も学校も楽しくなるから」

みんなが参加・活動できる明日へ

「合理的配慮」——その人らしく生きるための個別の手立てが、活力ある若者を育てている。今やテクノロジーは進化し、困難をカバーするための選択肢はいくらでもある。しかし、それを活かすべく使い手の意識が、旧来のまま止まってはいないだろうか。
大らかな発想と少しの工夫で、誰もが参加・活動できる環境をつくり、自分らしくいきいきと生きる人が増えれば、世の中はどんどん元気になるはずだ。

「人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。今度は自分が助ける番。小学生のころ、夢中で語り合った学生サポーターとの時間みたいに、多様な人がフェアな立場で集える場所をつくりたい」

もえ立つ若者の夢は、やがて花を咲かせるに違いない。


追記 2023/9/12
本記事が宣伝会議が運営する広告界のニュースサイト
AdverTimes.(アドタイ)に掲載されました。
こちらは筆者コメント付きです。


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