ミヨ子さん語録「うはがまんめし、こなべんしゅい」

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の来し方に移った)。たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いている〈239〉。

 タイトルの「うはがまんめし、こなべんしゅい」はもちろん鹿児島弁の言い方なのだが、漢字を交えれば「う羽釜ん飯、小鍋んしゅい」。ここまで書けば、おわかりだろう。「大釜の飯、小鍋の汁」である。

 昭和の、羽釜でご飯を炊いた記憶がある、あるいは見聞きしたことぐらいはある世代、とくに女性ならばこの言葉を聞いたことがあるのではないかと思う。「おいしいご飯を炊くなら大きな釜で(一度に大量に)、おいしい汁物を作るなら小さな鍋で(少量をその都度)」という意味で、おいしいご飯と汁の基本として、おそらく日本中で共有されていた。

 そういう意味ではミヨ子さんだけの「語録」というわけではないのだが、ミヨ子さんはご飯を炊くとき、汁物(たいていは味噌汁)を作るとき、よくこの言葉を口にした。そのほうがおいしく作れる、という再確認でもあったが、往々にして「本来そうすべきなのに、今日はそうできない(なかった)」という、半ば言い訳のときもあった。

 舅・姑が健在だった頃は家族も6人とまあまあ多く、夫の二夫さん(つぎお。父)は働き盛りでたくさん食べたし、子供たちも食べ盛りに差し掛かりつつあった。ガス炊飯器を使い始めてからも、朝たくさんのご飯を炊いて、夜もう一度炊くという暮らしだったから、「大釜の飯」そのままだった。味噌汁は、都度作るのがおいしいとはわかっていても、手間を考えて朝と昼はまとめて作ることが多かったが。

 やがて家族が減っていき、「大釜」でご飯を炊く生活から遠ざかっていった。汁のほうも、まとめて大量に作る必要はなくなった。家族のために大釜でご飯を炊いていたミヨ子さんにしてみれば、手間が減るのはいいとしても、やはり寂しいことだったかもしれない。

 時間はさらに下って、わたしがご飯を炊くのもとても「大釜」とは言えない。がんばってちょっといい鋳物の電気釜にしたので少量でもおいしく炊けるのだが、多めに炊いたごはんにできた「蟹の穴」を見ると「やっぱり『うはがまんめし』じゃないとなぁ」と思う。汁物はミルクパンでしか作らないから、毎回「小鍋の汁」で、これまた「やっぱり『こなべんしゅい』じゃないと」と自分に確認する。そのときいずれも、わたしの中にミヨ子さんがいるのだろうと思う。

 ちなみに「う」は「大」が縮まったもの、「しゅい」は「汁」の変化だ。そして「めし」の「し」はほとんど発音しない。英語のshの発音 [ʃ]とほぼ同じだが極めて短く、子音だけで終わる。鹿児島弁はとことん「縮めるのが好き」なのだ。

〈239〉過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」、「ひのこ」、「自由にし慣れているから」がある。


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