文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話1 思ったより元気

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんの舅・吉太郎さん、わたしにとっての祖父について書き進めているが)。

 これまでも日頃のミヨ子さんの状況を随時メモ代わりに書いている。つい先日ちょっとだけ帰省したので、その際のミヨ子さんの様子を本項からしばらく書いてみたい。昨秋にも帰省のエピソードを「続」として書いたので〈240〉、今回は「続々」である。

 今回強く印象に残ったひとつは、思ったより元気だったということ。もうひとつは、さはさりながら認知機能の低下は明らかに進んでいるように見えた、ということ。それぞれについて、そして小さなエピソードについて、しばらく筆を進めてみよう。

 ひとつめの「思ったより元気だった」について。

 「続・帰省余話」の最初の項(1 たった半年ちょっとで)では、そのひとつ前の帰省(2023年晩冬)に比べて、脚力の低下が顕著だったことを嘆いた。しかしその後デイサービスでの歩行練習と同居するお嫁さん(義姉)の支援もあり、家の中での伝い歩きなら杖がなくても大丈夫なほどに回復した、とは聞いていた。

 もっとも正確には杖を持つことを忘れているらしいのだが、お嫁さん曰く「忘れても歩けるれるんだから、いいのよ」。

 観察していると、たしかにミヨ子さんは家の中では杖をあまり持たない。手すりがある場所では手すりを掴むのだが、手すりがないところでもなんとか歩ける。前回のような、途中で足が動かなくなり立ち止まったり、後ろから抱えたりすることもほとんどなかった。

 ただし、起き抜けや、長く座っていたあとの立ち上がりは厳しいようだ。脚が動く態勢になるのに時間がかかるのだろう。頭は歩こうとしているが、脚がついていかないようにも見える。起きてしばらくは、あるいは座っている間は脚の運動をして「慣らして」おくよう、息子(兄)たちからいつも言われている。が、それは忘れてしまう。

 それから、前回盛んに訴えていた膝の痛みについてあまり口にしないことに気づいた。痛いことを忘れている、あるいは感じていない可能性があるが、それはそれでけっこうなことだ(たぶん)。

 ただ、もう長い距離は歩けないし、歩ける距離もだんだん短くなっている。それを実感した出来事については、改めて書くことにしよう。

〈240〉続・帰省余話は33、帰省余話は27


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