文字を持たなかった明治―吉太郎23 新しい戸主

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある

 このところは「大家族」をテーマに6人きょうだいだった吉太郎に家族が増えていく様子を追い(大家族①)、手元にある除籍謄本のうち二番目に古いもの(便宜上【戸籍二】とする)について書き終えたところだ。【戸籍二】の戸主できょうだいの長男である仲太郎(萬延元年、1860年生れ)が亡くなったところまでである。

 次に古い謄本(【戸籍三】とする)では、「前戸主」仲太郎の死去を受けて三男の庄太郎が戸主になったことが、次のように記載されている。
「大正拾四年参月四日前戸主仲太郎死亡二因リ選定 家督相續人松島庄太郎相續届出 大正拾五年参月拾五日受附」(註:死亡は1925年、翌年相続を受付。文中に入れたスペースは原文にはない。)

 戸籍記載者そのものに「二男」がないことは「9 家族構成⑥きょうだい」で述べたとおりだ。「選定」の主体がよくわからないが、残されたきょうだいのうち長男の次に年が多い三男が親族間での話し合いで選ばれたのか、例えば役場あたりで「次の年上の男子が継ぐのが当たり前だろう」と言われたのか。

 ともあれ戸主は三男の庄太郎になった。謄本上では、戸主の次にその母・スヱ、以下、妻・ヨシ、長女・ヱダ、長男・藤一、二男・武二、三男・秋良、四男・忠吉、二女・フサエ、三女・タツエと続く。

 四男・源太郎は庄太郎より先に結婚し、【戸籍二】ではその家族も庄太郎家族より先に記載されていた。しかし【戸籍三】では、源太郎自身が庄太郎一家のあとに「弟・源太郎」と記載されている。以下、弟・吉太郎(つまり二三四の祖父)、弟・末吉、姪・ハル(源太郎の二女)、甥・廣二(同二男、)、姪・アキ(同三女)と続く。

 源太郎の妻のチヨは【戸籍二】の時点で亡くなっているためか戸籍の成員に含まれていないが、一方で意外なことが記載されている。それは次項で述べよう。

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