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文字を持たなかった昭和 鹿児島のお菓子(かからん団子)前編

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 ごく最近、ミヨ子さんの様子を見に短い帰省をしたついでに、地元――と言ってももう実家は取り壊してないのだが――の物産を売る店に立ち寄った際に「かからん団子」(※写真)が目についたので、つい買い求めた。鹿児島では広く知られた、庶民のお菓子なのだ。

 「かからん団子」は、米粉の団子をサルトリイバラや同属のサツマサンキライの葉で包んである。この、先端がちょっとだけ尖った丸い葉っぱが「かからん葉」だ。包むというより挟むというのが正しいかもしれない。

 「かからん葉」の「かからん」は、鹿児島弁の「かかる」、標準語の「触る」の否定形で、「触らない、触ってはいけない葉」という意味になる。サルトリイバラやサツマサンキライの蔓には棘が生えており、不用意に触ると刺さってしまうのでこの名がついた、という説がある。

 ミヨ子さんが農村の若い主婦だった頃、すなわちわたしの子供時代にも、「かからん団子」は広く知られていた。ただし、鹿児島銘菓の「かるかん」のように菓子店で売っているものではなく家庭で作るものだった。

 手作りするとは言え、日常的なおやつではなかった。なにせ「かからん団子」作りは、「かからん葉」を山の中から採ってくるところから始まるのだから。

 どの山の――自分の家の山とは限らないが――どのあたりに「かからん葉」があるか、を一家の主婦は知っていた。旦那さんに頼んで取ってきてもらう家庭もあったかもしれない。採ってきた「かからん葉」はきれいに洗っておく。

 団子のほうは、餅米粉に砂糖を混ぜてこねた白い生地と、それに漉し餡を混ぜた小豆色の生地の2種類があった。漉し餡も自家製だったから、小豆を水に浸してから茹でて餡にする手間も考えると、「かからん団子」作りは相当な手間だ。ちなみに餅米粉も、家で収穫した餅米を農協で粉に挽いてもらったもので、一度に大量に挽いて缶などに保存してあった。

 家庭によっては小豆餡を団子の中に包むことがあり、そのスタイルの市販品もあるが、これはさらに手間がかかる。ミヨ子さんがあんこを団子に包んだことはなかったと思う。

 団子の大きさは「かからん葉」と同じくらい。それを葉っぱで上下から「挟む」、つまりサンドイッチにする。だから直径は10センチほどもあった。厚さは2センチほどで、団子というより餅に近かった。

 昨今市販されている「かからん団子」は葉っぱを折って団子を挟んであるか、小さめの葉っぱで上下から挟んであるかで、かなり小ぶりだ。最初に市販品を見たときは、懐かしさもさることながら「小っさい!」と感じたものだ。

 葉っぱで挟んだ団子は、蒸し器で蒸し上げる。椿の葉のようにツヤツヤで濃い緑色だった「かからん葉」は蒸されて色を失う。しかし表面のツルツルした感じは残るので、食べるときは葉を剥がしやすい。

 「かからん葉」自体には香りや風味があるわけではない。いまのクッキングペーパーのように、団子どうしがくっつかないよう、蒸したあと取り扱いやすいように生地を挟むことのほうに目的があったのではないかと思う。

 味は「うす甘い団子」と言えばいいだろうか。漉し餡が混ぜてあるほうが、珍しさも手伝っておいしく感じられたものだ。いま市販されている「かからん団子」は、一口食べておいしく感じさせるためと、何個も食べるものではないという前提からか、しっかり甘いものが多いように思う。(後編へ続く)

(※写真:緑色のはよもぎ団子。1個50グラム弱と小ぶり、4個で360円。市来えびす市場で購入。)


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