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■迷路好き悶絶! 飛騨金山の「筋骨めぐり」

●迷路を求めて飛騨金山へ

 どこかに迷路状の町があると聞けば、じっとしていられない。
 熊本県と大分県に跨る杖立温泉や、愛知県の日間賀島、広島県の豊浜町豊島、和歌山の雑賀崎など、機会を見つけてはあちこち出かけてきた。

 迷路状になっている町は全国各地に存在する。
 試しに「迷路 路地」などのキーワードで検索をかけてみると、すぐに「迷路のまち」を自称する香川県小豆島の土庄町本町が出てくるし、その他尾道や杖立温泉、雑賀崎などなど、キーワードを工夫しながら検索を繰り返していけば、次々とそれらしい町が出てきて、すべてを把握するのが難しいぐらいだ。どの町も行ってみたいと思いながらなかなか実現できないでいるが、そのなかにとくに気になって注目している町があった。

 岐阜県下呂市の飛騨街道金山宿。

 金山宿は、岐阜県を縦断する飛騨街道の宿場町で、天領、尾張藩、苗木藩、郡上藩の4つの藩境に位置していたため交通の要衝として栄えた。街道沿いには、細い生活道路が網目のようにはりめぐらされ、地元ではこれを「筋骨」と呼んでいるようだ。町を人体に見立て、生活道路を筋や骨に例えているのである。そしてこの「筋骨」がなかなかの迷路らしい。

 迷路状の路地に名前をつけるのは、杖立温泉の「背戸屋」と同じである。「背戸屋」は鑑賞に値するいい迷路だった。道がいい具合に錯綜しているだけでなく、くたびれた生活感と、歴史の持つ暗さやもの哀しさのようなものが路地の隅々に滲んでいた。そうした味があるからこそ名前をつけたくなったのだろう。そうしてみると「筋骨」も期待できるのではないか。

 ただ「背戸屋」は背中の戸、つまり裏口のイメージが浮かんで迷路に通ずるものがあるが、「筋骨」という名前から迷路を連想するのは難しい。
 いったいどんな町なのだろうか。
 ずっと指をくわえて見ているわけにもいかない。迷路への禁断症状が出る前に行ってみようと思う。
 金山町のサイトによれば、ガイドツアーがあるようだ。私は、2時間かけて案内してくれるという一番豪勢なツアーに申し込んだ。

●「筋骨案内人」の岡戸さん

 飛騨金山駅に降り立つと、オレンジ色の金山町観光協会のスタッフジャンバーを着た年配の男性がぽつんと待っていた。
 先方だけではない。駅で降りた客も私ひとりだけだったから、なんだか拍子抜けした。かつての宿場町ともいうし、飛騨金山と聞けば当然飛騨高山を連想するから、それなりの観光地だろうと思って来てみたら、駅は静かなものだった。

 その日の「筋骨めぐり」ツアーの客ももちろん私ひとり、そのためにわざわざガイドさんに出てきてもらって申し訳ない気分だ。
 ガイドの岡戸(おかど)さんは、リタイアしてこの町に来たそうで、この町の良さはよそから来た人でないとわからないと言った。もともとは好きな釣りに没頭したくてここに移り住んだのだったが、「筋骨」の魅力を知り、案内人を買ってでたのだそうだ。

 大きな荷物を駅で預かってもらい、さっそく歩きだす。
「この駅はね、昭和3年にできたんです。当時は終着駅だったんですよ」
 とさっそく教えてくれる。高山本線を北へ伸ばす過程で一時期ここが終着だったときがあったようだ。

飛騨金山駅

 駅から筋骨の集中する金山宿へ行くには、飛騨川を渡らなければならない。その手前にダムの放水路があって、それを跨ぐように変わった形の鉄塔が立っていた。

ダム放水路と鉄塔

「左右対称じゃなくて面白いでしょ」
 それだけといえばそれだけだが、こんなものを見るだけでも気分が満たされるのは、路上観察好きの業だろうか。岡戸さんによれば「筋骨めぐり」ツアー客には人気の鉄塔だそう。それどころかわざわざこの鉄塔だけを撮りに来る人もいるらしい。
 飛騨川にかかる金山橋を越える。

金山橋

 飛騨金山の宿場が栄えたのは、ここに渡しがあったからである。そこに橋が架かることになって、この町は相当な危機感を覚えたらしい。
「これができると人が来なくなるというので、この町は人を呼ぶために歓楽街に変わったんです」
 路線変更が当たり、町はその後も長く発展した。パンフレットには昭和40年代が最も栄えていたとある。
「その頃はパチンコ屋が5軒もあったね。お寺を移築して、『夢の国』っていうキャバレーを作ったりしてね。外見は寺だけど、中はミラーボールが回ってた」
 と岡戸さんは笑う。

街道脇の建物にも歓楽街だった頃の名残りが

 少し歩いて左の路地に入り、しばらくいくと家の隙間を指して「これ、筋骨」 と指差す。そこには細い路地があった。

「筋骨」

 狭い!
 なんて狭くて先の見えない魅惑的な路地だろう。初めて目にした「筋骨」にワクワクする。個人宅の敷地にも見えるが、階段が切ってあり、ここがちゃんと道であることを示している。驚いたのは、平成15年まで「筋骨」は国道だったということである。岡戸さんによれば「これを私道にすると通るなという人が出てくる。だから誰でも気兼ねなく通れるよう国道に指定されていた」のだそうだ。

 これが国道?
 にわかに信じられない。
「今はどうなってるんですか?」
「市が管理しています」
 国道でなくなっても、公共物であることに変わりはないようだ。
「ここは宿場町なんで、表通りは商店が並んで、お客さんがたくさん歩いていました。なので普段着の住民はこういう裏道を使っていたんです。表通りをいくより、「筋骨」を使ったほうが実際近いんですね」
 以前横須賀の迷路を彷徨したとき、ドンツキ協会の齋藤さんが、迷路になりやすい町の特徴として、港町、温泉、鉱山を挙げていたが、飛騨金山はそのどれにも当てはまらない。ふたつの川が合流する複雑な地形があり、同時に宿場町であったこと、つまり狭い土地に人口が集中したのが原因というわけか。

 ●湧き水と銭湯

 岡戸さんはこの「筋骨」には入らず、少し先の民家のところで曲がってずんずん歩いていく。どう見ても個人宅の真ん前である。

どう見ても個人宅の前

「これも「筋骨」ですか?」
「そうです」
 んんん、ツアーに申し込んでおいてよかった。
 もしひとりで来たら、勝手に通るのは憚られるような道である。
 やがて用水路に出ると、小さな橋が架かっていた。
「さっきの「筋骨」を抜けると、ここへ出るわけね」と岡戸さん。

用水路に架かる小さな橋

 原っぱの先の家の横に狭い隙間が見える。あそこのことだろう。それも面白いが、原っぱにもグッときた。いかにも昭和時代を彷彿させる空き地ではないか。
 橋はもうひとつあり、それも「筋骨」だと教えられる。まさに縦横に「筋骨」が走っている。

これも「筋骨」

 その先がどうなっているか渡ってみたかったが、岡戸さんはそちらへは向かわず、さらにずんずん歩いていく。するとそこに、屋根を懸けられたちいさな水場があった。共同の湧き水だそうだ。
「ここには4つの池がありますが、最初の1号池が飲み水。隣の2号池で野菜を冷やし、こっちの大きな3号池は食器洗い場で、一番手前の4号池は洗濯用です」

壁沿いの小さな一画の右が1号池、左が2号池。中央が3号池で一番下流にあたる手前が4号池

 柄杓があったので1号池の水をすくって飲んでみた。柔らかい水だ。
「冬場の今はちょっと生ぬるいですが、夏は冷たくておいしいですよ」
 湧き水は迷路の町によく似合う。路地裏にこういう場所があるとホッとすると同時に、道も覚えやすくなる。一石二鳥だ。

 湧き水横の階段をあがると飛騨街道だった。
 湧き水を裏手に控える木造3階建ての建物は、その名もずばり「清水楼(せいすいろう)」。お城造りといって通し柱がない独特の工法で造られているのだそう。通し柱がなくて3階建てで大丈夫なのだろうか。なんとなくダルマ落としを連想する。

お城造りの「清水楼」

 飛騨街道に沿って歩きだすと両側に古そうな建物がちらほら並び、その隙間にときどき「筋骨」が通っていた。

ナイス「筋骨」
よすぎる「筋骨」

 全部入ってみたいが数が多くてきりがない。惜しみながら、岡戸さんに導かれるまま通り過ぎる。
 しばらく行ったところで、少し奥まったところに古い建物があり、かつての銭湯だと教えられた。よく見れば扉の上にたしかに、男、女、と描いてある。

銭湯

 中をのぞくと、タイルがきれいに残っていた。奥に狭い浴槽がある。この浴槽が少し深くなっていて、座るには深く立つには浅い。そのため、肩までつかろうと思うと中腰になる必要があった。中腰でずっと浸かるのはきつい。これは長風呂を防ぐためらしい。狭い浴槽だからこその工夫だ。

銭湯内部

 更衣室の壁には当時の張り紙が残っていて、カレンダーや指名手配のポスターなどに混じって、昭和59年に料金が大人100円に改定された旨のお知らせが貼ってあった。
 この銭湯脇からも「筋骨」が通じている。表通りを通らずに銭湯に通えるように考えられていたのだ。軒と軒の間を歩いていくと、上に建物がめちゃくちゃに被さっていて、どこからがどっちの建物なのかもよくわからない。路地だけでなく、建物内も迷路になっていそうだ。

建物もどうなっているのか謎

 この構造を解明するだけでも1日楽しめそうな気がするが、「筋骨」はこのあたりから怒涛の展開を見せていく。

●迷路好き悶絶「ハウルの動く城」ゾーン

 まずこの「筋骨」、どう見ても私道。舗装すらされていない。

これも「筋骨」

 そこへずかずか踏み込んでいく「筋骨案内人」岡戸さん。

大胆なようだが、ここではこれが普通なのか

 さらに、誰がどう見たって個人宅の軒下。こんな場所とてもガイドなしでは通れなかった。

絶対個人宅だろ
 この2階はどうなっているのか。

 しかし驚きはまだこんなものではなかった。用水路を跨ぐ橋があり、そこからの眺めは昭和の雰囲気。

用水路と住宅

 用水路べりに降りると、そこにも湧き水の水場があり、橋の下を潜って暗い道へ侵入。

どこへ続くのか

 その先にもまた水場があったりして、湧き水がやたら多いわけだが、その先に驚異の光景が待っていた。

ハウルの動く城

 用水路の上を跨ぐように奇妙な3階建ての家が建っていたのだ。1階は土台の脚の上に木材をかましてその上に載っかっている。それが脚のように見えるのか、地元では「ハウルの動く城」と呼ばれているらしい。
 1階と上の階で軸がずれているが、こちらは家の裏にあたり、表はこの2階の高さがに道路が通っている。なので、この1階は表から見れば地下にあたる。

横から見たハウルの動く城

 なんて素敵な形。ガキガキした見た目といい、不安定な土台といい、実にインスタ映えする建物ではないか。たとえインスタ映えしなくても、きっとみんな好きだろう。今はもう誰も住んでいないそうだが、そうはいってもBSのパラボラもあるし、わりと最近まで住んでいた気配がある。
 そしてこの家だけでなく、それに連なる建物もすごかった。

壮絶過ぎた家

 右手の家は角が用水路の上に張り出している。右の隙間には「筋骨」が通って、上の道路に通じている。
 左の家なんて完全に用水路の上。ここに住むのはなかなか勇気がいりそうというか、湿気がすごいのではないか。増水時などは怖いだろう。
「今はもう違法建築になるので、取り壊したらこの形では再建できません」
 岡戸さんは言った。

 この用水路を跨ぐ家の左に「筋骨」が通っていて、そこをさらに抜けていくと、もうひとつ用水路を跨ぐ家が見えてきた。

橋じゃなくて家だそう

「この家は、右が飛騨街道、左が劇場通りに面していて、どっちも表なんです。なので、裏口がここにあります」
 と岡戸さんが家の下に潜って指し示したのがここ。

こんな裏口ありか

 忍者屋敷の脱出口か!
 痺れる。なんて素敵なんだ「筋骨めぐり」。
 その後も用水路を跨ぐ家は続き、

「筋骨」は続く

 まっすぐ立って歩けない「筋骨」まで登場。面白すぎて卒倒しそうであった。本当にこれ私道じゃないんだろうか。

立って歩けない

 驚異のハウルゾーンを抜けたあとは、置き屋だった建物や、造り酒屋などを見学し、いやあお腹いっぱい、岡戸さん今日はどうもありがとうございました、有名観光地ではないだけに、岡戸さんのような地元の人たちの活動がなければ、私が知ることもなかっただろう。出会えてよかった。
 そうして最後、駅へ向かうのかと見せて、さらなる魔界へ踏み込んでいく「筋骨案内人」。

まだ行くか!

 こんなにも迷路全開な町だったとは飛騨金山。2時間では到底すべての「筋骨」をめぐることはできない。あらためてじっくり写真でも撮りに来たいと強く思ったのである。 


【建設の匠】より転載(記事の内容は2019年に取材したものです)

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