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アルジャズィーラを禁止するイスラエルと、エドワード・サイードが語る「イスラム報道」

私は君の意見に賛成しない。
しかし、君がそれを言う権利は命を賭けても守ろう。

 これはフランス啓蒙主義の思想家ヴォルテール(1694~1778年)の言葉である。啓蒙思想には人間の理性の力でもって世界の秩序を肯定的に変えるという確信があった。

 イスラエルは、このヴォルテールの言葉に反するように、その国内におけるアルジャズィーラの活動を禁止した。「世界報道の自由デー」の2日後のことだった。イスラエルのテレビ局はガザでの戦闘を報じないために、イスラエルの特にアラブ系市民にとってアルジャズィーラがガザでの惨状を伝える数少ない情報源だった。

反シオニズムは反ユダヤ主義ではない UCLAで https://ktla.com/news/local-news/photos-protest-encampment-grows-at-ucla/


 4月1日、極右政党が多数を占めるイスラエル議会はガザでの戦争中にコンテンツが国の安全を脅かす場合、イスラエル国内での外国チャンネルの放送を停止することを政府に認める法律を可決した。日本でも総務大臣が「停波」を口にしたことがあったが、イスラエルの今回の措置が民主主義の原理に背くものであることは疑いがない。シュロモ・カルヒ通信大臣はアルジャジーラが「扇動チャンネル」であり「ハマスの代弁者」だと形容した。イスラエル軍は様々な形でガザ報道を妨害し、昨年10月以来、ガザ地区で約140人のジャーナリストを殺害した。今年1月8日にも、イスラエル軍が、アルジャズィーラの記者2人を意図的に殺害したとアルジャズィーラが非難したことがあった。

 イスラエル軍は、一昨年(2022年)5月11日、ヨルダン川西岸ジェニンで取材していたアルジャジーラのシリーン・アブ・アクレ(シーリーン・アブー・アークレ)記者(当時51歳)の頭部を撃ち殺害した。アクレ記者は「PRESS(報道)」と書かれた防弾チョッキを着用していた。
 イスラエル軍のラン・コチャフ報道官はこの殺害について、アルジャジーラのクルーはカメラで武装していたと述べた。「カメラで武装していた」とはナンセンスな発言だが、イスラエル極右のイタマル・ベングビール議員(現在国家治安相)は「イスラエル兵の行動を支持する。アルジャジーラの記者たちは戦闘の場に立つことでいつもイスラエル軍の行動を妨害してきた。」と述べた。

イスラエル軍に射殺されたシーリーン・アブー・アクレ記者 https://www.afpbb.com/articles/-/3412927


 アルジャズィーラのような外国の報道機関の活動を禁止するイスラエルの措置は、ロシアやシリアなどアメリカが独裁体制と批判してきた国が行ってきたことだが、バイデン大統領などアメリカ政府には今回のイスラエルの措置を非難する様子はまるでない。

 「イラン革命の内幕」(1981年)、「サダト暗殺」(1983年)などの著書があるエジプトの有名なジャーナリストのモハメド・ヘイカルが、アルジャジーラがアラビア語放送の中では最も優れていると語ったこともある。その批判精神を指してのことだ。

 パレスチナ系米国人の思想家エドワード・サイードは『イスラム報道』(みすず書房)の中で下のように語っている。

 「私は、ムスリムがイスラムの名によってイスラエル人や西洋人を攻撃したり傷つけたりしたことがない、などと言っているのではない。私が語っているのは、人がイスラムについて(欧米の)メディアを通して読んだり、見たりすることのほとんどが、暴力行為はイスラムに由来するものであり、〈イスラム〉とはそういうものだからだと伝えられている、ということである。その結果、イスラム地域で発生する具体的で、正確なさまざまな状況は意識されないか、無視される。言い換えれば、イスラムについて報道するということは、ムスリム(イスラム教徒)が何をしているかを曖昧にする一方で、このように「欠陥だらけ」と伝えられるムスリムやアラブ人とは何者であるかが強調される一面的な行為になっている」(宮田加筆・修正)

パレスチナ人は存在しないとイスラエルは言う。我々はパレスチナで暮らしていた。 パレスチナ人の村、街、社会が1948年以前にはあった。我々は存在する―エドワード・サイード https://www.pinterest.jp/pin/687713805592803285/


 日本でもこのサイードが指摘するところを感じることがある。「イスラムは怖い、暴力的な宗教」など少なからぬ日本人がもつイスラムに関する印象は、日ごろのメディアの報道によっても形成されてきたものだろう。岸田首相や上川外相は昨年10月にハマスの奇襲攻撃が起こると、「ハマスのテロを断固非難する」という発言を繰り返し、ガザでの戦闘もハマスに一方的な責任があるような印象を与えている。日本の場合、報道だけでなく、政府関係者のイスラム認識も公平さを欠き、それも日本人のイスラム観に否定的影響を及ぼしている。岸田首相が断食明けの食事をイスラム系諸国の大使を招待して共にするほどイスラムに敬意を示すならば、イスラムに関する発言はもっと慎重であるべきだろう。現在でもイラク戦争への支持は「妥当」と答弁する岸田首相には無理なことか。


ハマスは名指ししても、イスラエルは名指しすることがない https://digital.asahi.com/articles/ASRBT61YNRBSUTFK00N.html

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