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#79運動場は楽しいな。

「うぇえい、うぇえい!」
休み時間になると、校舎のいたるところから子どもたちが運動場にかけ出してきて、何がそんなに楽しいのか、満面の笑みで走り回っている。わたしがまだ仕事をしていた頃、時折訪れる小学校で、そんな光景を何度も目にすることがありました。

(まだ子どもだった頃、わたしもあんな風に走り回っていたのかな)

自分の姿は自分で見ることが出来ませんが、記憶の糸をたどった時にまぶたの裏に浮かんでくる、小学生時代の友だちの様子をゆっくり確かめてみると、自分も同じように毎日飛びはねて生活していたのだろうと思うのです。

「廊下を走らない」というポスターが壁に貼られていても、長い廊下をみると、思わず走り出したくなっていましたし、先生たちが周りにいないのをちゃんと確認してから、螺旋階段の手すりのところに馬乗りになって、後ろ向きに滑り降りたりしていました。

身体が「動きたい、もっともっと活動したい」と催促していたのでしょう。生きているエネルギーは内側から湧き出てくるものだから。大人になると、その湧き出る感じが薄れてきて、もっぱら脳の神経回路を通じて「次はコレをする」「ソレが終わったらアレをする」と司令を受けて動くようになってしまうことが多くなります。身体の声を聴くこと、その声に素直に従ってみること、そんな自由さを面倒くさがって手放していくほどに、生活は不自由さという目に見えない紐で縛られて、息苦しくなっていく。そういう悪循環をようやく自覚できるようになった50代の今は、ちょっと不自然にでも、自分の中に眠っている子どもらしさを取り戻そうとしたり、楽しもうとしたりする、小さなチャレンジを大事にするよう心がけています。ただのんびりと生きている生き物たちに意識を向けることも、チャレンジの一つです。

「うぇえい、うぇえい!」
我が家のベランダから、声なき声が聞こえてきます。声の主は三匹の亀たちです。冬眠もせず、春が近づくにつれて食欲もますます旺盛になってきた彼らの甲羅は、気づくとかなり大きくなっていました。甲羅が大きくなる時には、表面の模様通りに一枚ずつ剥がれ落ちていきます。うまく剥がれない部分はわたしが代わりにベリッとやります。

甲羅に水垢がついてヌルヌルしてくると、使い捨てのメラミンスポンジでゴシゴシこすって綺麗にします。わたしには亀たちの甲羅が、どっしりと大きくて黒光りしている大きな宝石のように見えます(これはもう単なる親バカですね)。

「大きくなった、大きくなった」

昔、大好きだったじいちゃんが、田舎に帰省するたびに孫であるわたしたちに言ってくれた言葉を、わたしは亀たちに心の中で囁いているのです。生き物同士、皆、生まれて大きくなって、いつかあの世に旅立っていく存在です。

ネット調べによると、野生の亀は想像以上に移動範囲が広く、歩いたり泳いだりして場所を移動するらしいのです。

(うちの亀たちも本当はもっと動きたいのでは…)

そこで登場するのがテル坊です。100均のアイテムを利用して、折りたたみ式の大きな柵を作ってくれました。その中に人工芝を3枚ほど敷いて、外遊び用に作った小山などを起きます。その下に潜り込めば、日陰で休めます。

「うぇえい、うぇえい!」
声は出しませんが、わたしには亀たちの目がキラキラしているように見えます。亀には逃げ出そうとする習性もあるのか、柵の周りをぐるぐると歩いて、出口を探していることが多いです。オスのモミジは高い場所が好きで、小山の上に登っていることが多く、大人しいヨモギは時間が経つと日陰に潜り込んで休憩しています。ちゃんと行動に性格が現れています。

「これだけ広ければ、亀たちもストレスなく悠々と動けるはず」

と、こちらも満足な気分で家事にいそしんでいると、カタカタと怪しげな音がします。なんだ、なんだ?おてんばのワラビが、30センチほどの柵の網目に足をひっかけて、よいしょよいしょとよじ登ろうとしているではないですか。そんなにまでして脱走したいのか。恐らく三匹の中で、腕力が一番強いであろうワラビは、水槽のフチにもよく手をかけて登ろうとしますし、何度ひっくり返ってもしぶとくチャレンジを繰り返します。

ヨモギとワラビの甲羅のサイズ(メス)が、今13センチくらいですが、大人になると30センチくらいまで成長する予定です。いつか大きな草はらを思いっきり歩かせてやりたいので、これからも毎日運動場でしっかり動けるカラダ作りを続けていこうと思っています。




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