マフラーを巻いたうさぎ。(4)
(うさぎさん、心配してるかな)
まい子は自分の手のひらの上にある懐中時計を見つめながら、うさぎのことを考えている。この前の土曜日、うさぎと別れたあとに図書館の司書さんがあわてて追いかけてきた。
「これ、忘れてましたよ」
それはうさぎが胸のポケットにいつもしまっている懐中時計だった。
「ありがとうございます」
時計を受け取ったまい子は、うさぎが帰って行った方にむかって走り出した。まるで司書さんから渡されたバトンをもって走り出すリレー走者みたいな気持ちで。
(うさぎさん小さいからまだ近くにいるはず)
そう思っていたのに見つけられなかった。おじいさんのくせに逃げ足は早いようだ。
「あーあ」
うさぎさんたら、家に帰ってから気づくのかな。なくしたと思って大騒ぎするかもしれない。そもそもうさぎさんってどこに住んでいるんだろう。これまで見落としていた、いろんな疑問がわいてくる。まい子は時計をポケットにしまって家まで持ちかえった。
家ではお父さんがなにやら台所でガサガサやっている。
「ただいま」
「ああ、まい子。おかえり」
「何してるの?」
「おでんを作ってるんだ。冬はあったまるだろ」
おでんの素をつかってだし汁をつくり、おでんの具セットを投入しつつ、ゆで卵や大根なども加えて豪華にしようとしているようだ。
「大根を時短で柔らかくする方法をネットで検索してみたんだ。味が染み込んで美味しくなるらしいぞ」
毎日目にしていると、エプロン姿のお父さんもまんざら悪くないなとまい子は思った。レパートリーらしきものはあまり増えていないけど、家の中でこんなに生き生きと働いている姿をふだん見ることはないから。
「ねえ、お父さん。あとからちょっとお願いしたいことがある」
「ああ、いいよ。父さんにできることなら」
妙にうれしそうなお父さんの反応に、まい子は心の中で笑った。
(家族の皆に頼りにされているのはお母さんだけど、お母さんがいない時に自分が何かを任されるのって、父さん嫌じゃないのかも)
お父さんの言った通り、大根にもしっかりと味が染みていた。おでんは強者だ。心も身体もしっかり温めてくれる。二人はほとんど話もせずに、もくもくと箸を動かした。
「これ」
食事の片付けが終わってから、まい子が懐中時計をお父さんに見せると、
「これはなかなか立派な時計だ。年代物のようだなあ」
メガネのふちを人差し指の付け根でクッと上に持ち上げ、お父さんは時計に顔を近づけた。うさぎの時計はやっぱり止まっている。針は三時を指したままだ。
「問題はおれがなおせるかどうか、だな」
お父さんは、懐中時計がだれのものかも詳しく詮索しなかった。図書館で知り合ったおじいさんが大事にしているもので、ひとりで調べ物をしているから、時々手伝っているのだとまい子が説明すると、
「そうか、それは人助けだな」
と言っただけだ。
「そのおじいさん、時計がこわれてちゃ困るだろうな」
こんな時、まい子はお父さんが自分のお父さんでよかったと思う。
お父さんは、懐中時計をテーブルの上にひろげた白いタオルの上にそうっとのせた。日曜大工用のネジまわしなど、使いそうな道具も出てきて、神妙な面持ちだ。一度、中を分解して確認してみないとよく分からないという。まい子もとなりに正座してお父さんの様子を見守った。
「これは…」
だまって時計の内部をのぞいているお父さんの隣りで、まい子も目をこらしてみた。
「すごい」
大きさが少しずつことなる小さな歯車が、きれいに一列にならんでいる。ほかの部品たちも鉛筆の先くらいに小さい。時計ってこんなに精巧なつくりをしているんだ。
「きれい」
キラキラした宝石の美しさではなく、そこにあるのは整然としたまとまりそのものの、静けさみたいなものだった。動いていないけど、今にも動き出しそう。まい子は、時計の心臓をみているような気分だった。
「どうやら、おれの手には追えそうにないな」
しばらく二人で時計に見とれてから、お父さんが申し訳なさそうに頭をぽりぽりとかいた。がっかりしたまい子がシュンとしていると、
「なに、心配ないよ。父さんが時計屋さんに持って行ってやるから」
とお父さんが言った。
「え、ほんと?」
「ああ、男に二言はないさ」
翌日の日曜日、ふたりは町の小さな時計屋さんに出かけた。店の奥では、おじいさんがひとりで作業をしていた。
「どれどれ、見てみましょう」
片目にカメラの小さなレンズのようなものをつけて、おじいさんが懐中時計の中を確認している。
「ところどころにサビがついてます。それに油も切れているようです。修理すればまた動き出すと思いますよ」
(ああ、良かった)
まい子はほっと胸をなでおろした。修理は三日ほどですむとおじいさんが言うので、お父さんが仕事帰りに取りに行ってくれることになった。
「よかったな」
お父さんもまるで自分のことのように喜んでいる。
「お母さんには、このこと秘密にしていてもらえる?」
帰り道、まい子はお父さんの顔をうかがいながらお願いした。
「え、いいけど、どうして?」
「だって。お母さんったらなんでも根掘り葉掘り聞いてくるんだもん」
もし、図書館でうさぎに会っているなんてバレたら大変なことになる。
「わかった」
お父さんがクスクスわらいながら、まい子の頭にぽんと手をあてた。
「まい子だって中学生だもんな。秘密の一つや二つ、あるのが当たり前さ」
それから二日後、お母さんが無事に戻ってきた。
「ただいま、二人ともお留守番ありがとうね」
両手にふくらんだ紙袋をかかえて、あわただしく台所にむかうお母さん。久しぶりに会うとなんだか新鮮な気がする。まるで見知らぬ女の人みたいに見える。
「まい子、ちょっと手伝って」
「はあい」
まい子も台所にいって、持ち帰った荷物の片付けを手伝った。
(お母さん、行く前より頬がほっそりしてる。おじいちゃんの看病、がんばったんだろうな)
「ひとまず、おじいちゃん元気になってホッとしたわ」
お母さんは、心底安心したという表情でニコリとまい子に笑いかけた。
「お年寄りにとって、冬場ってきびしいのよね」
お母さんの眉間に小さくシワがよった。お母さんの心配な時の顔だ。
「よかったね」
まい子はそう答えるだけでやっとだった。
次の日、お母さんがお風呂に入っているのを見計らって、お父さんがまい子を呼んだ。
「これ、ちゃんとなおったみたいだぞ」
懐中時計は、修理に出す前よりピカピカになってもどってきていた。文字盤の上で、時計の針が規則正しく時を刻んでいた。
「うわ、ありがとう」
まい子がお礼をいうと、
「おじいさんによろしくな」
お父さんが、ちょっとカッコつけて言った。
「ずいぶん上達したわねえ」
まい子の編みかけのマフラーをみて、お母さんが言った。どうやらお世辞ではないようだ。
「そう」
メリヤス編みを何回も練習したあと、まい子はいよいよ二目ゴム編みに挑戦しているのだ。そのほうがマフラーに厚みができて、巻いた時にあったかそうだと思ったから。えんじ色に近い赤い毛糸は、うさぎに似合いそうだ。
「だれにあげるか、もう決めたの?」
そう聞かれて、まい子はドキッとした。
「うん、友だちがほしいっていうから」
「そう、いいわねえ。女の子同士で」
お母さんはすっかり信じている。うさぎに合わせて少し小さめ、短めのマフラーに仕上げたいから、女の子にあげると言っておいたほうが都合がよい。
(こんなに集中できるとは、自分でも思っていなかったなあ)
編み物を始めたことで、まい子は自分の気持ちが少しだけ、やさしくなったような気がしている。気持ちがやさしいとはちょっとちがうかな。あせらなくなった。時間がすぎるのがそれほど怖くなくなったというか。これまでは勉強していても、漫画を読んでいても、テレビを見ていても、音楽を聴いていても、ついつい時間を確認するのがまい子の癖だった。自分では目の前のことに没頭しているつもりでいても、ふと我に帰ると「今、何時だ?」と時計を見てしまっていた。編み物をしているときだけは気にならない。気にすることを忘れている。
(なんにも考えないで、目の前の毛糸のことだけに気持ちを向けよう)
ひと針、ひと針、進めていくうちに、いつのまにか一段が終わる。くるっと向きをかえて、またひと針、ひと針。気づくと三十分、一時間と時間が経っている。そして編み上がったマフラーも少しずつ長くなっていく。
(時間がすぎていくのも、これと同じことなんだ)
マフラーが長くなったということは、それだけ時間をかけたということだ。こんなに自然に時間がすぎていくのなら、時間を気にする必要はないのかもしれない。勉強だって「一時間やらなくちゃ」と始めから身構えないで、それだけに集中していれば、いつのまにか一時間とか一時間半とか頑張ってたってことになるかもしれない。焦らなくても物事は、なるようになっていくのかもしれない。
(なにも考えないって結構すごいことかも)
一時間ほどたっぷりと、編み物の世界を堪能したまい子は、布団に入るとすぐに眠気におそわれた。自分が頑張っていることが何かしら形になって残っていく、その満足感と安心感がまい子を包み込んだ。
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ようやく待ちに待った土曜日がきた。まい子はうさぎに会うのが待ちきれなくて、約束より30分も早く図書館に着いてしまった。いつもの席から図書館を一通りながめてみる。皆それぞれ、自分の読みたい本を読んだり、おしゃべりしたり、思い思いに過ごしている。なんてことはない、ごく普通の土曜日の午後。もしうさぎと出会わなかったら、まい子は今頃何をしていただろう。テレビを見ていただろうか、自分の部屋で漫画でも読んでいただろうか。うさぎと一緒にこうして調べ物をすることにも、いつか終わりの時がくる。そしたら、また自分がどうやって、この休日の午後を過ごすのか、考えなくちゃいけないんだな。ちょっと寂しい。誰かといっしょにいるって、誰かといっしょに何かをするのって、やっぱり楽しい。
「おや、今日はわしより早く来たんじゃな」
すぐそばで、うさぎの声がした。考え事をしていたせいで、気づかなかった。「あ」まい子は、自分が修理した懐中時計をもってきていたことを思い出した。
「これこれ」
ジャンパーのポケットから、そうっと取り出したものを、おじいさんの手の中に渡してあげた。
「おや、わしの時計、あんたが持っておったのかね」
「この間、忘れていってたから、持ち帰って修理したのよ」
「それはありがたい」
どうやらうさぎは、時計がなかったことに気づいていないようだった。なんだ、ちょっとガッカリだ。うさぎがもっと大喜びしてくれるのを期待していたまい子だったが、もしかするとうさぎは、ユーレイうさぎなんだし、普段は時間なんて気にせずに暮らしているのかもしれないとも思った。
(暮らすっていうのも変か。だってうさぎさん、たましいなんだもんね)
二人はそろって時計の文字盤に目をやった。
「あれ、また止まってる」
先にびっくりしたのは、まい子のほうだった。時計の針は午後三時を示して止まっていた。修理する前と同じだった。
「修理からもどってきた時は、ちゃんと動いていたのに」
「そんなに気にすることはないよ」
うさぎは、チョッキの胸ポケットに懐中時計をしまいながら言った。
「わしは、毎日が三時だったらいいなと思っておるくらいだから、時計のほうで気を利かせてくれておるんじゃよ」
「三時ってなんの時間?」
「そんなのお茶の時間に決まっておるわ。ほっほっほ」
その日の調べ物の作業も、いつもと変わらず、あまり前には進まなかった。
(つづく)
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