まずは、この写真を見てほしい。 1年前の写真を撮るには中々の勇気が必要だった。しかし、これは紛れもなく自分が当時一生懸命描いた絵なのである。 「みんなおれの家族だぜ……」ワンピースの白ひげが脳裏に浮かんだ。過去の自分をぎゅっと抱きしめてあげたい。 私は、1年前から絵を描くようになった。きっかけはnoteからで、「ああ、こんな記事を書きたいけれど、エッセイ漫画みたいに表現できたら面白いだろうなぁ」という思いからである。 かく言う私は、エッセイ漫画調な作品を読むことが大好
青森に転勤して2年目になる。最寄りの映画館まで車で2時間かかるのは嫌だが、自然豊かなのは枯れた心の栄養素が満たされた感じがする。 そんな青森だが、私がずっと行きたいと思っていた場所がある。 それが斜陽館なのだ。 学生時代、根岸青年は本屋で黒字の表紙に銀色の文字で『人間失格』と書かれた本を見つけた。それが太宰治の本であることは流石に知っていたが、読んだことはなかった。 第一の手記で始まる「恥の多い生涯を送って来ました」は、日常生活でふとした時になぜか思い出してしまう。
洗濯物を取り込むのが面倒で、数日間は放置してしまう。これは間違いなく結婚から遠ざかるような癖だと思う。 私のアパートから職場は歩いていける距離で、周りに何も建物もなくアパートが土地の高いところにあるので、職場からアパートがよく見える。 先日、職場の敷地内を歩いていると私の洗濯物がピンポイントで見えていた。お気に入りのタオルが太陽の光をいっぱいに浴びている。 これには衝撃だった。何日も洗濯物を干しているものだから、もしかしたら職場の人に「あそこに住んでるやつは万年洗濯を干
軽度のうつ病と診断されて2週間が経つ。ご飯も食べれるし仕事もできる。日によって自殺念慮に駆られるが、それは誰にでもあるだろ思って過ごしている。 仕事は思い詰めないようにほどほどの温度感でこなし、余裕がなくなりそうになったら東京駅やアメ横、渋谷の雑踏なんかを思い出している。そうすると自分以外にも人間が懸命に生きている感覚で気持ちが落ち着くのだ。 この記事を読んでいる社会人読者の中には、退勤するのが気まずいなんて瞬間はないだろうか。 私もその1人だったのだが、うつとなってか
転勤前、彼女と箱根の旅館に泊まった。最近その旅館がTVで特集されているのを見つけ、懐かしさに浸った。 ビュッフェで食べたお寿司と天ぷらは、食べたのが1年前の今でも美味しかったことを覚えている。 私が取り皿を持って、ビュッフェ会場をウロウロしていると、ボサボサ髪で無精髭の男性が歩いているのを見つけた。 浴衣も少しはだけていて、インナーが見えそうになっていた。男性のなんと魅力的なことか。ゴールデンバッドなんかを吸っていたら間違いなく文豪に見える。 旅の出会いは一期一会、そ
都会は、人の多さに安心する。電車の向かいに座った人、すれ違った人たちに人生があると思うと、自分の存在がいかに小さいかを認識させてくれる。 自分とだけ向き合っていると、他人も生きていることに忘れてしまう。片田舎にいると尚更そうだ。自分だけが生きていると感じて、空が自分を潰してしまうような窮屈さに反吐が出そうになる。 だから、寂しい時は本を読んだ。 中島らも、燃え殻、太宰治。近々はシオランを読みたい。 ただ、本当にどうしようもない時はページすら捲れずに布団の中で横になって
鬱病になった。診断を受けた時は、絶望感よりも安心が優った。自分の中で落とし所がつけられなかった気持ちに、やっと客観的な視点から病名が下されたことに落ち着きを感じた。 どうやら私は鬱病の浅瀬にいるようで、特に薬が必要な状態ではない。抑うつと睡眠障害が日常生活を阻むが、それはさらにひどくなるようであればもう一度医者に罹った方がいいとのことだ。 職場に連絡するのは勇気が必要だったが、なんとかメールを打って送信した。ひとまず休職はしない。本当はしたほうがいいようだが、それはなんだ
チャイナドレスを買いに出かけた。霧雨が降っていたが、そこまで強くならないと思って傘は持っていかなかった。 そうしたら、雨がどんどん強くなるものだからコンビニに飛び込んで折りたたみ傘を買った。 1500円。私が天気予報を見ていれば払わなくて済んだのに。自分の生活能力の無さが、木の幹から離れた根っこの部分でも表れる。 そうだ、チャイナドレスを買うに至った経緯だ。 先日、彼女にコスプレをしてエッチをしてみたいと話した。そうすれば、自分の鬱的な症状も和らぐと付け加えて(最低)
最近あまりにも気分が下がるので、どうにかならないものかと調べていたら出会いました。 セントジョーンズワート 落ち込みや無気力の改善、不安、イライラ、緊張の緩和に効果があるらしい。 私は希死念慮に駆られてしまい、生活に支障が出るレベルでした。 ああもうこれは、死ななくてはならない。そう考える時間が増え、何をするのにも興味が湧かず。 レビューには「悪夢を見る」と買いてあったので怖かったですが、藁にもすがる思いで買いました。 飲み続けて1週間は経ちましたが、個人的には前
薬局シュークリーム 出先でシュークリームを2つもらった。 その日は寄り道をしたかったので、近くの公園で食べようと思った。 家族連れが多いが敷地がそんなに広くない公園。成人男性1人がシュークリームを食べるのはいささか危険な気がした。 結局、薬局の駐車場でシュークリームにかぶりつく。クリームがこぼれないように反対にして、シートを汚さないよう慎重に食べる。 本当は1個300円はするシュークリーム。もっと気ままに食べればよかったと家に帰ってから後悔した。 小さな変化
セルフレジに立ち入る前、毎回お辞儀してから入ってたら面白いかなぁなんて考えながら20%引きのパック寿司を買った金曜日の17時。 今週はやけに長く感じた。感覚では水曜日が特に長い。週休3日制を導入するなら水曜日にすべきだと思う。そうしたら、1時間はダラダラして終わらせる仕事も40分くらいに短縮できるのに(微妙な作業効率上昇)。 そんな話はよしとして。 最近、なるほどなと思った話がある。 それが「つまらないものを作る理由は自身の内面性が豊かではないから」というもので、これ
職場に酒臭い同僚がいる。 あのツーっと鼻を真っ直ぐ突くような臭い。その人は小声で話すものだから、え?と近くによると酒の臭いが頭をクラクラさせる。 どうせなら美女から香る妖艶な匂いに陶酔したいところだが、現実は酒臭いおじさんに悩まされている。 あの酒臭さはどうやら前日に深酒なんかをしていると、翌日に皮膚からアルコールが分解された物質が放散されているらしい。 はぁなるほど。どうりで全身から臭うわけだ。ではどうやって付き合っていけばいいのだろう。 「ちょっと!酒臭いですよ
人の目を気にしてしまうことはよくある。 例えば、職場で他部署の人と電話するとき、周りの同僚が私の会話をどう思うかを俯瞰して考えてしまう。 でも、1人のときは案外気にしない。ご飯も一人焼肉だっていけるし、映画も余裕。別に他の人に見られても一期一会だし、どうってことない。 ただ、TSUTAYAなんかのアダルトコーナーは別である。 あの暖簾の奥から吹き抜けるピンク色の風。外敵に襲われず、無事に成長できた人間のみが入れる禁制の間。 あの風格に私はたじろいでしまう。 先日、
春一番が聴きたくなる今日この頃、花粉混じりの風がサーっと吹いています。 夏が暑くて嫌いだけど、春も好きかどうかでいえば嫌い寄り。出会いよりも別れの方が印象深く、寂しい季節だなと思います。 2ヶ月前くらいは希死念慮が酷く、何をするにも実感が湧きませんでした。どうやら今はその山を超えたようで、精神衛生は落ち着きを取り戻しました。 良い調子のまま新年度を迎えたい。次はいつ気分が落ち込むだろうか。もう少し上手に自分と付き合えるようになりたい。 埃かぶっていたバッグをタンスから
人の性格は変わらない、というのは理解できます。けど、生き方は変えられると思う今日この頃です。 「久々に会ったら明るくなったね!」と思うのは、その人の性格が変わったというよりも、暗いままでは良くないと意識したその人が少しずつ生き方を変えていった証だと思います。 ただ、生き方を変えるには自分の性格を理解しさらに受け止める必要があるわけで。これに気がつけなければ変われないのではないか。 実ほど頭を垂れるとは、こうした精神的な修行を繰り返した人間だけが得られる境地なのではないで
「麻雀を辞める」 麻雀を1ヶ月も経たずに辞めました。 ルールも覚えてきて楽しさを感じ始めてきた頃合いでしたが、このままハマるのが怖くなり麻雀アプリをアンインストール。 世の中の人々が熱中する理由もなんとなくわかります。あれは中毒性がある。軽々一局やろうと配牌を眺めていたりすると、簡単に1時間が過ぎるのです。 だめだだめだ、麻雀に情熱を賭けるのは。戻れなくなってしまいそうだ。 これからはお笑い芸人の麻雀ボケに反応できることを嬉しく思おう。それくらいがちょうどいい。