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半径3kmの旅で感じた、変わり続ける私と変わらない街並み

私は、盛岡という街が好きだ。
昨年のこの日も、どうやら山登りで盛岡に来ていたらしい。

前日の、最高にチルな湖畔キャンプの疲れを引きずりながら法務局で法人の設立申請を済ませ、そのまま(都民8年目にも関わらず乗り換えを2回も間違えたせいで)東京駅構内を爆走し(ごめんなさい)、盛岡行きの新幹線に飛び乗った。

今回の一人旅は、いわば遅れてきた自分の春休みである。

この3月は過去にないくらい忙しく、これでもかというほどグラレコと納品祭りだったのだが、毎日あれだけ描いても腱鞘炎にならなかった自分を褒めたい。強くなったね、私の右腕。

真っ当な社会人であれば新年度の始まりこそ、仕事に本腰を入れるべきなのかもしれない。

しかし、4年くらい前に会社員を辞めて美大の大学院に飛び込む奇行をかまし、とうの昔にピカピカキャリアに別れを告げているので、当然のようにほぼオフにして旅に出ることにした(と言いつつ、移動しながらやらなきゃいけないことはちゃんとやった小心者)

本当に私の法人が誕生してしまうのか、と本音ではハラハラドキドキのタイミングでありつつ、だからこそ年度はじめに、好きな街で思いっきり好きな景色を見て、温泉にでも浸かりながら、ゆっくり法人の展望とかロゴデザインとかを考えて時間を過ごそうと思っていた。

しかしながら(案の定)、多動女の現実はそうならなかった。

朝5時前に地震で飛び起きた後、1時間かけて歩いて近所の低山に登り、ニホンジカの親子に見守られながら汗だくになって辿り着いた展望台カフェでは夜明け前から地域の有志の方々が思い思いに持ち込んだ楽器を演奏する「夜明けの音楽祭」なるエモすぎる会を開催していて、気づいたら大地讃頌を一緒に合唱していた。何度歌っても心に染み入る良い歌であった。

その後、その場に居合わせた女性Hさんのご好意で車で泊まっていたホテルまで送ってもらうはずが、互いの仕事の話で意気投合してしまい、そのまま自宅にお邪魔し、絵を描いて表現することの素晴らしさをお昼近くまで語り散らかした。

余韻に興奮したまま近所の雑貨屋さんに入ったら、お店の方に重そうな荷物を心配していただき、ご好意でお店の自転車を借りて(!)周囲を散策できることに。自転車で漕ぎ出した瞬間、ふと今夜の宿がないことに気づき、ずっと気になっていた民泊のお宿に慌てて電話で頼み込み、なんとか宿を確保。

ほっとしてランチしたくなって自転車を走らせていたら教えてもらった画材屋さんに辿り着いた。画材道具の話をしていたはずが、昨夜、お店の代表の女性と私は同じイベントに参加していたことが発覚。想像をはるかに超え、知の総合格闘技みたいだったイベントの話で盛り上がり、気づけば7月にお店で行われるアート展に出展し、また来ることを約束して店を出ていた。

4月2日のわたしの1日

・・・なんでこうなった?

「たまにはゆっくりしたい!」とか、もはや自作自演の壮大なフリだったんじゃないかとすら思うほど、「思ってたんと違う」凄まじい1日になっていた。

最終的には最高なお宿にたどり着き、おススメしていただいたご飯屋さんとバーを渡り歩き、バーのマスターから「ここで働けよ」と言ってもらえるほど楽しい夜を過ごした。(まあまあ彼は酔っていたから、きっと私のことを覚えていない。次回行ったらまた「初めまして」から始める所存である)

起こった出来事も、出会った方々も全てが最高だった。

書店booknerdさん。ここに惚れて盛岡に通うようになったと言っても過言ではない
くふやさんのお弁当ご飯のおかげで、
3時間に及ぶトークイベントで集中力を保つことが出来ました
夜明け前から8時まで空いている「喫茶GEN ・KI」
1時間歩いて辿り着いて、朝7時から食べるカレーは格別でした
この美しい自転車自転車をお借りしました(shop+space ひめくり.の皆さん有難うございました)
喫茶ふかくさの居心地の良さは異常。絶対またここで読書するんだ・・・!
会話が楽し過ぎてJAZZに集中できんかったが、常連さん含め愛のある時間を楽しめた。
かすみちゃん、また会いに行くね!

ここには書ききれないほど、本当にたくさんの出会いと発見があった。


ちなみに、今回の旅は思いつきではなく、3月半ばに見つけてしまったこちらの最高すぎるイベントに参加することが主な理由だったのだけど(登壇者が全員憧れてる人ってすごくない?奇跡かと思った)

(ちなみに、3時間に及ぶ怒涛のトークセッションは内容が濃すぎて、いまだに咀嚼できていない部分もあるので、時間をかけて味わい、少しずつnoteに記そうと思う)

このイベント以外は何の予定も予約もなかった。

だからこそ、余白の1日が思いがけない出会いとご縁を運んでくれたのかもしれない。

普段多動すぎる人間だけど、なんのプランも作っていなかったことがこんなに幸いするなんて。

時間の過ごし方としてはいつも通り非常に慌ただしいものだったけど、人の紹介ベースで、ご縁の数珠つなぎの上を自分の足で歩く旅は、かつてないほど満たされた気持ちでいっぱいになっていて、シンプルに新幹線で帰京しながら書いている今、すでに寂しくなっているのが本音である。

盛岡という街、そして出会ってくれた皆さんのことが、私はすごく好きになってしまった。

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私はすごくドライブ(というか運転?)が好きで、普段の旅はわりとレンタカーを借りて、郊外の行きたい場所やお店にとことん行きまくることが多いけど、今回はなんとなくだけど、あえてほぼ自分の足(+半日の自転車ブースト)で行ける半径3キロほどの狭い行動範囲で3日間を過ごした。

「車って便利だけど、その移動の軌跡は匿名性が非常に高い。」

街中を行き交う車に追い越されながら、そんなことを考えた。

止まるのは駐車か赤になっている時だけ、中に乗っている人がどんな顔をしていてどんな服を着ているのかもさっぱり分からず、はたまた旅行者なのか住んでいる人かも分からない(ナンバープレート見ればわかると思いつつ、それってその人の車の登録地という情報でしかない)

逆に、徒歩とか公共交通機関は遅いし不便も多いけど、そのぶん街の人々の顔が見えて、生活が垣間見えて、街の息づかいを聞くことができる。

いち訪問者で旅行者に過ぎない私でも、街歩きを楽しんだ3日間は、ちょっぴり盛岡に住んだような感覚にさせてくれた。

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冒頭に、去年の今頃も盛岡に来ていたと書いた。
5日間で4つの雪山(もちろん百名山)を登るという、頭にも生活にも登山靴がめり込んでいた日々だった。

あの日からちょうど1年。

私の身体の細胞は3回入れ替わり(4ヶ月周期でだいたい新しくなるとか)
ちっぽけな個人事業主だった私は、小さくも会社を作ろうとしていて、

1人で山登りに明け暮れていた私は、無事に怪我なく百名山を完登し、
大切な人と家族になることが出来た。

あっという間だったけど、1年ちょうどのタイミングで同じ場所を歩いたことで、この1年に自分に起きた変化を正面から感じることができた。

それに対して、盛岡の街は1年前からあんまり変わってない安心感もありつつ、昨年行ったカフェがなくなってたり、人の変化よりは遅いかもしれないけど、やっぱり場所も確実に変わっていくものである。

最後に、今回の旅でbooknerdさんで出会った素敵な本の一文で締めたい。

過去は文字通り、過ぎ去ったものであって、今、皆さんが過去だと思っていることは、頭の中に残っている現在の記憶でしかありません。過去という実態は存在しないのです。・・・今、この時点で思っている過去は、自分の都合のいいように作り変えたり、脚色されたりした記憶という幻想に過ぎません。
・・・
私たちは、未来を変える自由を「今」持っています。そして、「今」という瞬間は、過去からの集積の結果としての「今」なのです。これからの未来をどう生きるかによって、その時々の「今」の集積として降り積もっていく過去は、未来によって新しく塗り替えられていくことになります。
・・・
過去が未来を決めるのではなく、未来が、それを生み出した過去の価値を決めていくということです。いいかえれば、「これから」が「これまで」を決めるということです。
・・・
過去は新しく、未来はなつかしいものなのかもしれませんね。

「この星で生きる理由-過去は新しく、未来はなつかしく」(佐治晴夫さん著)p.62より

1年前を懐かしんでいる記憶は、「今」の私が作り出している、
ある意味での幻想なのかもしれない。

それでもいい。
1年後にこうして大好きな場所に戻って来れたのだ。

待ってろ盛岡、次は7月だ!
(何の作品作ろう・・・)

来年の4月が何をしているのか、これから毎日の私が「今」を積み上げて、
せっせと作っていこうと思います。


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