でっちあげで築き上げた「アメ横の居場所」

※このnote記事は、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース 「クリエイティブリーダシップ特論II」 の課題エッセイとして記載したものである。

第8回ゲストは、アメ横 呑める魚屋「魚草」代表、大橋磨州さん!

穏やかな口調の中に、熱量のあるお言葉がたくさん響いた講演だった。今回は大橋さんのお話しの中で、特に印象に残ったお言葉をご紹介していきたい。

▶︎お祭りのような環境で感じた「居場所」

通常の祭りでは、いきなりステージの最前列に素人が立つことはないと思うが、初心者だとしてもステージの一番前に立たされる、それが上野。「ふりをして、演じればいい」魚のことが分からなくても、とりあえず声を上げて上野の演者として動くことで、ある種お祭りのステージのような環境で、最前列の「居場所」を与えられるのはすごいことである。

とはいえ、行き場のない人、居場所がない人が流れ着くとも言える場所。常に人は出入りし、今一瞬この場所に居場所を得ている人たちであり、これからずっといるわけでもない流浪の人たちなのだ。今、一緒に時間を過ごすだけであり、そこにベタベタした、未来を見据えたお付き合いがない人間関係だったそう。でも、アメ横の中であれば居場所があるという人も少なくなかったのだという。

▶︎自分の仕事に「大義」が欲しかった

安く仕入れて売る仕事、周りは倒産していく生産者も多かった。付き合いでしか、産地と向き合ってこなかったが、東日本大震災の後だったこともあり、三陸などの産地と改めて向き合うことを自分の大義として決めたのだという。

最初は牡蠣一個を店頭で剥いて食べてもらうことからスタート。魚を売りながら、その場で食べてもらえるような仕組みへ。毎日毎日、お客さんの反応を見ながら、何ができるかを模索していったのだ。

店先で演奏会をしたり、様々な取り組みにも挑戦した。「でっち上げ」のつもりで始めたとはいえ、なんとか軌道に乗るようになってきた。

▶︎お店はなんのためにあるのか

コロナのせいで来店できるお客さんが激減。オンライン注文を経て、なんとか生産地の魚たちをお客さんに届けることはできているものの、大橋さん自身が考え直すきっかけになったという。

「お店は街のためにある」

自分自身も上野のアメ横に居場所を見出し、一部となってきた。人々に居場所を提供するような仕事として、続けていきたいのだという。

何がその「居場所」を形作るのだろうか?人に居場所を持たせるものとは?

大橋さん自身が今一番考えているテーマだそうだ。

その模索のために、様々なアーティストとコラボし、創作の過程を通じて見つめていくことがたくさんある。

薄っぺらいビジネスだけでは、本当の居場所を創出することはできない。文化的、歴史的な背景をもって初めて、全てが大橋さんの居場所の後ろ側にあるのかもしれない。

ものではなく、人が織りなす居場所の作り方。

ただ、「人間性をビジネスにして売り込むのは違うぞ」というのも大橋さんの信念。

お母さまの言葉である「世界は知ろうとすればするほど閉じていく」という物も心に残った。

コロナで人との接触が物理的にも減っている今だからこそ、私がほしい居場所ってなんだろう、と自分自身に問いかける時間となった。




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