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社会は希望を実現するために行動するかしないかで二分されている

 希望がないと言われる日本だが、実際にはおよそ八割の大人が希望はあると回答した。さらに希望を持つ人たちに実現可能と考えているのは八割にのぼった。すなわち、約63%が将来実現見通しのある希望を持っていると答え、逆に約37%は希望はないもしくは希望はあるが実現しないだろうと答えている。

 希望を持つことは現在の幸福と密接につながっていることもまた事実で、希望がある人では、約84%が現在幸福と答えている。希望がない人よりも明らかに多くなっている。つまり希望がない人と比べても、実現見通しのない希望しか持たない人は一般的に見ると幸福感が薄い。

 また社会が悪い方向に向かっていると思っている人で、実現見通しのある希望を持つ割合は約53%だが、社会が悪い方向に向かっているとは必ずしも思っていない人は約82%が実現見通しのある希望を持っている。その実現見通しのある希望を持つ人のうち、約半分は、その希望は向こう三年以内に実現するだろうと考えている。

 1990年代に流行した「癒されたい」という言葉も遠い先に満たされるのではなく、すぐにラクになりたいという刹那的な希望の変化を象徴する言葉であった。裏返せばすぐに希望が叶えられなければ希望がないという感覚につながりやすくなっている。しかし幸福が継続を求めるのとは対照的に希望は変化を求めがちなため、落ち着いて未来に取り組むことが億劫になりかねない。

 日本で希望を尋ねると約66%の人が仕事にまつわる希望をあげるのが諸外国と異なる特徴である。しかも働く目的を尋ねると、収入よりも自分らしさの発揮や自分のやりたいことができるという、仕事を単に収入を得るための手段というだけでなく、自己実現のために不可欠なものと考える人が多いのも日本社会の特徴である。

 ただ、その裏の側面もあり、仕事がない人や不安定な仕事しかない人たちには「自分が駄目だから良い仕事につけないのだ」と自分を責める人もいる。

 仕事に希望を求めがちなのは、日本の雇用社会に特有な評価のあり方にある。その人自身の働く能力を評価して、その評価ランクに応じて給料を支払う。「能資格制度」と呼ばれるこの仕組みは、戦後急速に広まった日本に特有のやり方で、日本の会社の多くはこの人に支払う仕組みが残っている。日本経済が成長期にあった時代には、働くことが自分自身の評価となった。そんな希望につながる仕事への奮闘が、戦後の日本社会を支えてきた。

 しかしバブル経済が崩壊すると、「成果主義」と呼ばれる賃金制度が広がっていく。これは一部の人のやる気を引き出すことになったが、成果が出ないと給料が下がる。すると、給料は人である自分自身の評価そのものという意識がどこか抜けきれないため、給料が下がったことは、自分の評価が下がったものだと思い込んでしまい、希望が絶望になってしまうことにつながる。その結果、働くことに自信を失ったり、心身の調子を崩してしまう人も現れてしまった。


 八割弱の人は希望があると答えているが、その実現に向けて行動している人は、約47%いた。それは同時に行動していない人たちが約三割存在するということを意味していた。社会は希望を持つかどうかで二分されているのではなく、希望を持って行動しているかどうかで、半々に分かれている。

 「最も重要な希望を実現するために応援・協力してくれる人がいるかどうか」を尋ねたところ、全体の約54%がそういう人がいるという。ここでも希望の実現に向けた仲間がいるかどうかで約半々に分かれた。リスクをとって行動する人が増えていくのかが希望再生の鍵だが、一人でリスクを背負うのは大変で、それを共に分かち合う仲間の存在も必要だ。

 社会や環境についてのキーワードは「可能性」で、選ぶことができる範囲、もしくは実現できる確率のことを言う。何かをやろうとするとき、選択範囲が広かったり実現確率が高い時、人は自分に可能性が大きいと感じる。その可能性の大きい人ほど「自分にはできるんだ」と感じ、希望を持ちやすくなる。個人にとって、どれだけ自分の可能性が大きいと思えるかが、希望が持てるかどうかを左右している。

 具体的には、年齢、収入、健康といった要因が希望の有無に明らかに影響を与えている。自分は実現見通しのある希望を持っていると一般に答える傾向が強いのは、若い人々、一定水準以上の収入がある人、自らを健康だと感じしている人の三タイプで、年齢が若いということは、それだけ残された時間が多いということを意味している。収入の高さや健康も何かを行動して実現しようとするときの可能性に大きな影響を及ぼす要因だ。

 希望の可能性を信じて未来に向かって挑戦する若者たちの姿は、社会に元気を与える。1990年代以降、閉塞感が広がったり、希望の持てない社会になったと言われるようになった背景の一つが急速な高齢社会の進展である。希望を持つことの多い若者の比率が過去に類のないほど急速に減っていったため、多くの人が希望が持てない社会になったと感じるようになった。

 また収入が多いほど希望を持ちやすいというのは年収300万円前後が境であるとわかった。みんなが希望を持てる社会に必要なこととは、誰もが300万円以上の年収を確保できる社会を目指すということになる。みんなが最低限の所得を分かち合えるような所得再分配機能を強めた税制や社会保障制度を実現することが、希望の多い社会を生むだろう。

 しかしリーマンショックの経験が教える通り、グローバル化は日本経済に影響を強く与える。大きなショックが襲ってきたときには、嵐が過ぎ去るのを待つまでの一定期間、雇用機会と少なくとも300万円程度の収入は守るための、政策的な準備も欠かせない。事前に雇用保険財政を充実させておくことや緊急の時のための支援人材を育成しておくことなどが不可欠だ。誰もが一定の収入や仕事を確保でき、希望を失わないためには、起こるかもしれないリスクのイメージを共有することが大切だ。

 希望をもたらす可能性を支える背景としてもう一つ重要な要因は教育機会である。教育そのものは人的資本を向上させる面が強く、希望の可能性を拡大する重要な社会的道具である。

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