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あの曲、スキップしちゃダメな気がした


あの曲、スキップしちゃダメな気がした。白い息か煙か、はたまた魔法かわからない冷えた夜に、イヤホンの音漏れだけが迷い込む。

今年初めに聴く曲は何にしようかなと悩んでいた寝正月。グータラしたい訳じゃなくて身体が痛みのせいで動いてくれない。こんなに鬱々したくないのにな。

大好きなあの人は天使になってしまったし、この世には良い音楽が溢れすぎて、私の中で唯一のアイデンティティとも言える音楽ってコンテンツが年末から徐々に薄れていた。

音楽を聴きたい。でも聴きたくない。何も上手くいく気がしない。轟音が好きなのに空気みたいな夜を止めないで欲しい。

そんなジレンマの結末は無音でプレイリストを再生して、タイトルとアーティスト名の文字の羅列を無心で眺めるといった生産性の無いものだった。

その動作の中で私の肩を叩いたのは「THE CALENDAR GIRL」というバンドだ。凄く懐かしい。最後に再生したのはいつだろう、大学1年生だったっけ。

文字列を見てそんなことを思い出し、再生ボタンを押そうとした。私を待ってる、と思った。



このバンドの音楽との出会いは劇的。
「カレンダーガール」って曲が好きで、それを聴きたくて検索にかけたら同じ名前のアーティストが居た。曲を聴いてみたら凄く好きだった。オルタナティブなギターロック、荒々しいのに繊細。

当時から音楽は詳しい方だと思っていたけど、聞いたことの無いバンド名でSNSのフォロワーも1000人未満。たくさんある本の中から自分だけの1冊を見つけたプレミア感と似たようなものがあって、毎日聴き込む日々だった。

それが高校3年生のときだった気がする。毎日聴き込むのは楽しいけれど、些かバンドの動きが見えない。解散はしていないみたいだけれど、SNSも動かない。ライブ活動もしていないようだ。もどかしくて仕方ないから思い切ってライブをやらないのかと問い合わせてみた。毎日聴いてます、生活を心を支えられてます、思いの丈を綴った。

SNS社会と言ったって、そう上手くコンタクトなんて取れないだろうと思っていたけれど驚くことに返事が返ってきた。もう前のことなので内容は覚えていないが、私の問い合わせをきっかけに久しぶりにライブを演るという内容だった。

ライブは配信でしか行わないとのことだったが、当時コロナウイルスの蔓延で、音楽シーンは衰退していたのにも関わらず突然の朗報。涙が出る。

配信ライブではGtVo.の方が「バンドの活動が止まっていた時に背中を押してくれる方がいた。心から感謝してる。」とMCで触れてくれて、私の退屈を壊してくれた。思ったよりポジションの低いギターに、歪んだベース。手数の多いドラムに大好きな曲。苦しいくらいに響く。

そんな配信ライブが大学1年生の頃。少しだけ大変な時期に神様からのご褒美みたいなものがあって凄く頑張れた。でも頑張るものがなくなった瞬間、忘れたように、初めからなかったかのように聴かなくなってしまったのだ。

私が音楽に熱狂するサイクルは、焦りとか怒り、苦しいとか妬み僻みそういうマイナスな感情に比例する。そんな時に救ってくれるのは音楽しかないから。
でも頑張る対象もなくなって、マイナスな感情なんて得られなくなって、音楽の必要性が下がる。

そして私の生活の中心にあった「あの曲」は、いつの間にか浸透して見えなくなっていってしまった。




そこまでの経緯を、この文字列で思い出した。この曲だけはスキップしちゃいけない。この曲だけは音量を上げなきゃいけない。そうして鳴らした私のベスト・ミュージック
は、優しくて大きい音だった。
あの時の日常のズレや葛藤、抱えた夢、田舎ならではの田んぼ道がずっと続けばよかったこと、整備された道の歩きやすさと冷たさ、たった1曲で総て蘇る。

なんでこんなに大切なものを忘れていたんだろう、一瞬思ったけれど忘れていたことにも意味があったりするのだろうか。1度で良いからライブハウスでこの音を聴いてみたい。配信ライブで映ったエフェクターボードの電子には、彼らの音楽へのこだわりと楽器に触れた時の昂りや非日常、そんなものが見えた。それを体感したかった。

久しぶりにSNSを覗いたら、当時から全く動いていない。あのままだった。もしかしたら、私がどれだけ誠実に聴き込んでもバンドは動かなかったのかもしれないな。人は絶頂で終わる。あの時が絶頂だったのかな?
そんなわけがない。何も知らない外野が人の絶頂なんて決めて良いわけが無い。もう聴くことはできなくても、私はこの音を次は忘れない。丁度良くハングリーだった。あの時より聞く耳は冴えている。

ぼんやりしていた私の2024年を、劈く雷光のような音楽が愛おしい。
時間の流れの渦中には、飽きが必ず存在する。私が感じるってことはみんなも感じてるよね。飽きてもいい、忘れてもいいよ、なんか違うって思ってもいい。正解とかなくてい。

今日の私は何か違う。わかってとわからないでが交差している。
やりたい事がはっきり見えない。信じてくれた人への誠意というか、もう手錠みたいなもののおかげで生きている。

明日は朝から通院して、スタジオに入って2024年最初のイベントだ。ずっと楽しみにしていたイベント、不安もあるけどどうせアドレナリンでどうにでもなる。

ライブってマジですごい。日常動作も辛いのにライブが始まると身体が動いてしまう。そんな自分の欲望に笑っちゃったりして、フロアの顔ぶれが愛おしくてたまらない。伝わらないよなあ、わからなくていいんだ。

明日もそうなって欲しい。この気持ちはわかって、に分類される。どんな人の明日も、どうか静かで平らなものになりますように。ライブハウスでは音が鳴る、このまま2024年も続ける。

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