私の先祖は明智光秀と判明した過程。その3


自分の家系の戸籍簿を役所から交付してもらい、いよいよ戸籍を紐解いていく過程に入りました。

そもそも戸籍謄本と除籍謄本とはどう違うのでしょう。


現在の戸籍制度では結婚すると夫婦を一単位とした新しい戸籍が作られます。
夫、妻、ともにそれぞれの実家の戸籍から抜け、夫婦として独立した新しい戸籍が作られます。
その戸籍の写しを「戸籍謄本」といいます。

夫婦に子供が生まれると戸籍原本に名前が書き足されていきます。
逆に死亡、結婚や養子にいくなどで戸籍を離れた
場合には名前が消されていきます。
(名前の上に×線が引かれます。)


そうやって人物全員の名前が抹消(除籍)された
ものが「除籍簿」です。
除籍簿は一定の期間役所に保管されます。

この保管期間、以前は80年でしたが平成22年
以降150年に延長されました。
戸籍から全員の名前が抹消された時点から
150年後に戸籍原本は廃棄処分となります。


現在戸籍は電子化が進んでいて、保管期間が
過ぎるとそのデータも閲覧、交付ができなくなります。

廃棄というと除籍簿そのものが失くなって
しまうのかと思ってしまいますが、保管期間
以降も現物は置いてある役所があるらしいと
聞いたことがあります。
密封されていて中身を見ることはできないそうですが。

期限を決めずに永久保存して、子孫ならいつでも
見られるようにして欲しいと思うのはわたしだけではないのではないでしょうか。


さて、わたしの父の実家は長崎県の島原なので島原の役所から除籍簿を交付してもらいました。

除籍簿に記載されている最も古い戸主は、幕末、弘化年間に生まれています。
生年月日はわからないものの、戸主の父の名も
載っていました。

わずか数百円で、簡単に江戸時代の先祖の情報が
手に入ったのです。


手に入る最も古い先祖の記録は幕末期のもので
あり、それ以上古いものはすでに廃棄処分に
なっていることがわかりました。

これで父方直系の除籍簿が手に入ったので、
次はもっと手に入る除籍簿がないかを調べていきました。

わたしの本名は三宅といいます。
三宅家の除籍簿から先祖をたどっていくと、
わたしの祖父の父、つまりわたしの曽祖父の実家のことが載っていました。


曽祖父の実家は島原のN家という家で、三宅家の跡取り娘と結婚し婿養子となったことが記されていました。

後に調べていくと、このN家も島原藩士の家系であることがわかりました。

屋敷は本陣として使われ、幕末には坂本竜馬を伴って勝海舟が宿泊した記録が残されています。
他にも幕末期に活動した先祖たちがいたことがわかりました。
それまで新選組関連で読んできた文献の中に、
先祖の名前があったとは!

家系調査はこういう驚きの連続で、それは今も続いています。

次に、島原の市役所にN家の除籍簿の交付申請をしました。

そうやって手に入れたN家の除籍簿に記された
最も古い人物は天保年間の生まれの戸主であり、その戸主の父の名前もわかりました。


次は父方の祖母について見てみます。

除籍簿には私の父の母、つまりわたしの祖母は
長崎市内から嫁いできたことが書かれてあったので、今度は長崎市役所に祖母の実家H家の除籍簿を交付してもらいました。


その除籍簿を見てみると祖母の家は昔、熊本県の天草にいたことがあるとわかりました。

そこで今度は天草の役所に交付申請したところ、
記録が古すぎて廃棄処分になったといわれました。


これでさかのぼれる分はすべてさかのぼり、
手に入れることのできる除籍簿がすべて揃いました。

この方法はわたしの家系の除籍簿だけではなく、
どこの家の調査をする場合でももちろん使えます。
こういう風に戸籍をさかのぼっていくということがおわかりいただけたでしょうか。

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