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白血病というフィルターから覗く日常世界

東から陽が昇り、今日もまた何気ない1日がスタートする。

1日24時間というのは誰しもが平等に与えられた唯一のものである。

だが、その平等に与えられた時間でも人によっては、楽しい時間を過ごす人もいれば、苦痛の時間を過ごす人もいる。


僕は2021年の9月に急性リンパ性白血病を患った。

それまで平凡な日常を過ごしてきた僕にとっては、全てを失った感覚に襲われた。

病院での生活は退屈であり、抗がん剤治療は想像していたよりも遥かに辛いものがある。

そんな苦しい入院生活を続けていくなかで気づいたことがある。

それは、一時退院中に感じた
"素晴らしい日常世界が広がっている"
ということ。

病気になってから気づいた何気ない日常だったが
それが「白血病」というフィルターから覗いた時に大きな希望と幸福が広がっていることに僕は気づかされた。

僕が発信するnoteの内容は
「白血病というフィルターから覗く日常世界」
というテーマ・コンセプトのもと、何気ない日常から得られたことを発信している。

僕の思考などを発信しているわけだが、日常生活の見え方・捉え方には人それぞれ感じるものが違うため、

「こういうことを考える人がいるんだなぁ」

くらいでご覧いただけると幸いだ。

なぜ僕は発信しているのか?

自分で言うのもおこがましい気持ちだが、何かを発信することは容易ではない。

自分の思っていることを正確に言語化することも難しければ、自分は結局何が言いたいのかわからなくなってしまうこともある。

もっと言えば、それを継続して行うことすら至難の業だ。

抗がん剤の副作用も襲いかかる中、できるだけ発信をしたい大きな理由は備忘録のためである。

人はその時々に過ごした瞬間の感情を100%思い起こすことはできないと僕は思っている。

  • 青春時代に過ごしたあの楽しさ

  • 就職活動に味ったあの悔しさ

  • 「月曜日が本当に来ないで欲しい」と思った社会人1年目の週末

  • 抗がん剤治療の影響で終わりの見えない二日酔い気分を過ごしたあの日々

思い出こそ残ってはいるものの、あの時どんな感情を持ってあの時間を過ごしたのか、何かに残さない限り思い起こすことはできない。

だから僕は自分の備忘録のために何かを残し、
3年後、5年後、10年後の自分がこの残った文章を見返したときに

「あの時の自分はこんな気持ちで過ごしていたんだなぁ」

と当時の感情が蘇ってくれればそれでいいと思っている。


病院で過ごした辛く、ひどく、退屈な日々を過ごしたにもかかわらず、

一時退院した際に、日常生活に慣れすぎてその日常すら感謝できなくなっている自分がいたことも事実だ。

今もなお、治療を続けて苦しい時間を過ごしているにもかかわらず、日常生活に感謝できない自分がいるのは病気になる前と後では全然変わっていない。

それだけは個人的に避けたいと思っている。

少しでも苦しかった時のことを思い出して、
あの日を乗り越えたから今があるんだ!

と日常に感謝できる人間になりたいと僕は本気で思っている。

僕は特別な日を過ごしているわけではない

白血病になんかなりたくなった。。

これは今もずっと思っているし、これからもその気持ちだけはブレることはない。

僕だけではないはずだ。

何かしらの病気を患い、日常生活すら障害を抱えて生きる人がみんな
「普通の生活を送りたい」って思うはずだ。

それでもまた陽は昇る。

時間は止まってはくれない。

僕は、「白血病」を患ってからは、そんな止まってくれない普通の日常生活からも何かしらの発見がないか常に探しているようになっている。

それは、一度日常生活を奪われたからこそ気づかなかった気づきが隠れていることを知ったからだ。

その何気ない日常生活からの気づきをこのnoteに書き続けてきた。

ありがたいことに読者様からも貴重な感想をいただくことが多くなった。


頂いた感想を一部抜粋


頂いた感想を一部抜粋



いただいた感想を一部抜粋


いただいた感想を一部抜粋

自分が発信した内容に感想をいただけること自体ものすごくありがたいし、読んだ人が何かを得てくれることができたことはもっと嬉しいこと。

それが僕自身の考えや視点に対して、肯定的であるのか否定的であるのかは僕にとって関係ない。

はじめに断っておくが、
自分の考えや生き方を押し付けて、

「あなたもこう生きるべき!」
なんてするつもりは毛頭ない。

むしろ、自分の発信に対する捉え方は人それぞれだし、発信の感想をいただく中で

「こういった考え方もあるのか!」
と僕自身も新たな発見ができることもあるからだ。


僕は特別な日を過ごしているわけではないのだから、あなたと同じ、与えられた時間、日常生活を過ごし、自分自身が感じたことをただ発信しているのだけだから、考えの相違があってナンボの世界だ。

世界の見方は自分自身で決められる

白血病になる前はそれこそ僕も毎日来る何気ない日々をただただ過ごしていた。

白血病になって以降、当たり前に来る日常すら当たり前に感謝できる人間になりたいと思って今日という日まで過ごしてきた。

それこそ、
「今日何か面白いことないかな?楽しいこと起きないかな?」

なんて思っていた。
そう、受動的に。

でも、自分の意識一つで
これまで見えてこなかった世界が見えてくる感覚を覚えてしまったのだ。

これは良くも悪くも白血病の影響である。

世界の見方は人それぞれの視点で変えることができる。

僕の場合、白血病がきっかけに変わった
(正確には変えさせられた)。

僕の好きなライターの長谷川リョーさんもこのように述べている。

世界はひとつではない。

そもそも数えることさえできない。世界は「自意識」のなか、刻々と更新され続ける。自意識に揺さぶりをかけ、新しい「世界の見方」を教えてくれるのは「人・本・旅」だけだ。

恩師との出会い、初めて手にとった本(音楽でも映画でもいい)、初めて異国の地を踏んだときのことを思い出してほしい。「感動」の起点には必ず「人・本・旅」がある。

世界を相対化する技術 冒頭部分より

僕がnoteを発信するもう一つの理由が、読者様との出会いつまりあなたとの出会いだ。

あなたとの出会いこそが
新しい「世界の見方」を教えてくれると僕は思っているし、これを読んでいるあなたにとっても僕のnoteから何かを感じ取ってもらえればとても嬉しい。

とはいっても、大したことを言えるような人でもないと自分自身思っているので、

「世の中こういう人もいるんだなぁ」
くらいで思ってもらえるだけでも僕にとって嬉しい。

とにかく、綺麗事でもなんでもなくこれを読んでくれている「あなた」と出会えたことが僕にとって何よりの財産になるということは言うまでもない。

あとがき

僕の体調が許す限り、このnoteは週2回程度は更新できればと考えている。

しかし、これを書いているのは2022年1月31日。
実は翌日から骨髄移植のための入院を控えている状態だ。

体調が悪くなるどころか、10人に1人は命を落とすと言われている移植なので、その1人にならないか本当に不安でいっぱいである。

それでも僕は体調が許す限り、白血病と言うフィルターから覗く日常生活をつづっていきたい。

これは最後のお願いだ。
別に強制ではない。

もし僕を応援してみたいと言うお気持ちがあれば
是非サポートして欲しい。

このサポートで得たお金は僕の今後の治療費に充てたいと思っている。
もし治療費の支払いが不要になる時が来れば、
白血病治療の研究機関に寄付や骨髄バンク登録推進のための活動費に充てたい。


決して、自分の至福を肥やすために使うことはないということだけ強く強く宣言しておく。

僕自身が白血病を完治させ、白血病治療の発展のために明るい未来を作ることも僕の使命だと勝手に思っている。

もう一度言うが、強制ではない。
明るい未来の実現のためにあなたも協力していただけると
僕だけでなく、今・これから白血病と闘っている人にとっての生きる希望になることは間違いない。



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