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怪獣の種

 罰が当たってしまったのかもしれない、と思った。

 もう一ヶ月以上、家から出ていなかった。大学のゼミにもバイトにも休みの連絡を入れ、親から仕切りに来る電話にも大丈夫だから、と何度もことわりを入れた。

 朝起きて、ふらふらと鏡の前に立つ。今までのことは夢だったのではないかと思うけど、その儚い希望こそが夢であると思い知らされる。

 頭の上半分が、じゅくじゅくに育った無花果の断面図みたいになっている。

 鼻から上を切断して、同じ大きさの挽肉を乗っけたみたいな姿。

 頭だけでなく、そこから背中まで日に日に身体が侵食されていた。
 身体全身が痒く、ガリガリと身体中を引っ掻き回さずにはいられない。

 この苦しみから解放されるものならすぐにでも解放されたかった。

 何がいけなかったのだろう。わからない。
 バイトの同僚の彼氏と知っていたながら、飲み会の帰りに流れでホテルに行った。その時の彼の首筋が少し腫れていたのを覚えている。
 数日前からこうだけど、何ともないよと言っていた。今思うと、あれは自分の身体を侵食する無花果と同じ症状だった。だからこれはきっと、罰が当たったのだ。

 でもそんな。嗚呼。嗚呼。
 こんな目にあうのが、わたしである必要なんてあるのか。

 わたしはガリガリと頭を掻く。
 掻いたところから、どろりとした血が流れ出てきていて、ぐじゅぐじゅの無花果みたいなわたしの上頭部は、わけなんてしるもんかよ、とでも言いたけだった。

 わたしが同僚から寝取った彼にも、何度連絡をしても返事が返ってこない。

 インターネットで、自分と同じようなことになっている人がいないかを探したら、色々なところで見つかった。
 自分の変化を写真や動画に残して、その変貌の様をあげている人もいる。
 怪肉病とネットニュースでは騒がれていた。

 だが、それもパタリと三日前にほとんど途絶えた。

 保護された怪肉病の一人が巨大な怪物に変化したとの噂が出回っていた。

 三日前に茨城県土浦市の川沿いで、二十メートルは超えるだろうという巨大生物が現れていた。
 鰐のような顔のその巨大生物の首から胸元まではぐじゅぐじゅな無花果の断面みたいで。

 怪肉病は怪獣病だと、ネットで騒がれているのを見た。身体がこの無花果の実のようなものに覆われていくと、最後は怪物になってしまうのだと。

 何の気無しにテレビをつけた。テレビの中で、怪獣が暴れていた。
 この間の鰐の怪獣とは違った。顔はイタチのようで、だらだらとよだれを垂らしながら、近くにある家屋やビルを破壊している。
 その首筋から胸元にかけてまでが、やはり無花果のようであった。

『これはCGでも特撮でもありません!』
 キャスターの人が、大声でこちらに向けて喋っている。

『近隣住民の方々は、速やかな避難を!』

 怪獣の映像は生中継で放送されているようだ。
 少し離れたビルの屋上からどこかから撮影されている怪獣の様子が、ずっと画面内に映っている。

『あ、見てください!』

 キャスターの人が、怪獣の近くを指さした。
 怪獣の近くに、怪獣と同じくらいの大きさの裸の女性が急に現れた。
 
 女性は胸元を隠しながら、反対の腕で怪獣の顔を殴った。

『また現れました! 彼女は何者なのでしょうか!?』

 最初に現れた鰐の怪獣の時も、どこからともなく彼女が現れて、怪獣との格闘の末、気付けば姿を消していたのだった。
 その様子を、最初は映像なしで伝えていたテレビだったが、今回は生中継ということもあり、スタジオがどうすべきかざわついているようにも思えた。

 裸の女性は目をつぶり、頬を膨らませながらも、もう一度怪獣を殴った。それから、両手で怪獣を後ろから抱きしめて、地面に捩じ伏せる。

 と、次の瞬間には怪獣も女性も消えていた。

 キャスターもスタジオの人たちも皆動揺している。何が起こったのか、理解できている人は一人もいなかった。

 自分はそれよりも、怪獣を捩じ伏せていた女性の顔が忘れられないでいた。
 キリッとした目元に、つややかな肌。髪を後ろでぐっと縛ったポニーテールも、彼女に似合っていた。
 胸も大きく、お腹もキュッと引き締まっていて、とても美しい女性だ。

 ネット上でも、美人だのヌケるだの、下卑た品評会が行われていたくらい。

 あんな人に倒されるのであれば、このまま怪獣になってしまってもいいのかもしれない、と思った。

 あの人に、会いたい。

 わたしはテレビに近づいて、生中継の次の動きを待つ。けれど、いつまで経っても映像に変化はなく、スタジオの偉そうなおじさんおばさんが交互に色々なことを捲し立てるだけだ。

 嗚呼。嗚呼。

 わたしは痒みに抗えず、全身を掻きむしった。
 早く、早くこの苦痛を終わらせてほしい。

 そう思うと、目の前がお酒を飲み過ぎた時みたいにボヤボヤとしてきて。

 気付けば、目線が天井にどんどん近づいていく。

 遂には頭が天井を突き破って、見上げると燦々と太陽が輝く、青空だった。

 何となく、自由になったような気がして、わたしは両腕を広げた。
 その腕はどう見ても人間のものではなくて、蜥蜴のような鱗に覆われていたけれど、そんなことは瑣末なことだった。

 わたしは笑って両腕を広げてその場で回る。

 家が薙ぎ倒されて、その破片が身体に刺さったけれど、痛みはなく、それどころかホテルで同僚の彼氏を抱いた時みたいに気持ちが良い。

 ふと、顔を下げて正面を向いた。

 そこにはテレビで見た裸の女性が、テレビと同じように胸元を隠しながらわたしの方を見ていた。
 わたしは興奮して、叫んだ。その叫び声で、近くの鳥達が羽ばたいて逃げた。電線が切れた。地面が割れた。

『かわいそう』

 彼女は口を動かさずにただわたしを見ていたけど、何故か彼女がそう言ったことはわかった。

『今楽にしてあげるから』

 嗚呼。嗚呼。楽にだなんて!

 信じられない開放感。わたしは今が一番幸せだと伝えたい。

 わたしは両腕を広げて、彼女に飛びかかった。
 彼女はわたしを睨み、やっぱり胸を隠したまま大きく拳を振りかぶる。

 その拳が、わたしの額にぶつかって、これまた至高の喜びを得る。

 嗚呼。嗚呼。

 願わくばこの時間が、いつまでも続きますように。

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