2020年 九州をZ5と原付で登山旅 5-7日目 最終日とカンピロバクター食中毒との一週間
指宿で雨の停滞を終えて秋晴れとなりました。
フェリーを目指して北上していきます。フェリー乗り場まで移動距離400キロ以上…
夏休みの宿題みたい…
前回の旅の記事はこちら
そして、6日間と宣言していた旅は7日目+αを追加することになりました。それも旅の一つということで…
11月3日【5日目】
日の出と同時に出発です。
早朝なのにものさんが送り出してくれました。
ゲストハウス楽しかった!また来たきます。大人数で押しかけよう。
行ってきます。ゲストハウスの最寄りの海を眺めて出発しました。
ものさんの家の近所絶景すぎるでしょ…
Z5と24-200mmもかなり良い仕事をしてくれます。広角から望遠まで今回の旅はほぼこのレンズを使っていました。
指宿を離れる道中の景色が美しい。茶畑と薩摩富士がカッコいい。
この日は黙々と移動する予定で阿蘇山を目指します。
それに帰りのフェリーは別府発にしちゃったので絶対に別府に行かなきゃいけない…
この旅の思い出として印象深いのは月が綺麗だったこと。走っていてついつい月を探していました。
一日中走るならいい景色が見たいと思って天草経由で阿蘇に行くことにしました。これが判断ミスだった…フェリーの時間や絶景でバイクを降りたりして時間を要しました。
絶景を横目に黙々と走り、フェリーに乗って天草へ
ほとんどバイクに乗って何時間もかけて移動をしても書いてることは一瞬。
天草は隠れキリシタンが多く発見された場所らしく長崎と共に「潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されています。
そのような歴史的背景から天草にはキリスト教会が何件かあります。
数百年も弾圧され仏教徒と偽りキリスト信仰を伝え続けてきた歴史を学べる「天草ロザリオ館」があります。美しい教会も近くにあるのでオススメです。
天草はどこを走っても絶景。時間がなくても写真撮っちゃうよね。
次に一車線の狭い道路を登っていくと天草の景色を一望できる場所へ
天草らしい景色に癒やされます。
目的地はまだまだ先。
気がつけば日没となってしまいました。
日没もまだ天草。寄り道の天草のつもりが…原付の速度を舐めてた。
あと何キロ?数えてたら気が滅入りそうだから数えないけど、明日はどうなってもフェリー出港。原付で乗って帰るなら別府へ行かないと…
いつからこの旅は水曜どうでしょうの様なことになってしまったのでしょう。
「この旅、過酷」
そんな事をボヤキながら夜の熊本を駆け抜けます。なんとかズルできんのか…
あと何故かGoogle Mapにお気に入り登録をしていた。九州のさわやか「平家の郷」へ
正直な感想を言うとさわやかの方が好き。
柔らかいハンバーグだったのでよく焼きで注文したらよかったと思いました。
食後も夜中ひたすら走り続け、寒いと気がつけば気温は-2°
グローブは雪かき用ゴム手袋を愛用してます。
透湿性とグリップ力があるのでかなりオススメ。登山でも使用しています。
阿蘇山の外輪山を超えて南阿蘇の道の駅へ到着しました。
今日の走行距離は約400km。夜9時。温泉も入れない…
満月だけど星を撮ってみる
Nikon Z5のこの深い色いいですね。
AFは弱いですが表面照射でも十分に星が撮れます。
11月4日【6日目】
次の日、霜が寝袋を包み草木は白く凍っていました。
厳しく冷え、澄み通った空気を通して見える朝日が体に当たると生きてる心地がします。太陽が体に染みる。
今日は阿蘇山中岳へ登ります。最近火山活動レベルが下がり、登山ができるようになったばかり。このために遥々と走ってきた。
24−200mmの便利ズームは頑張れば鳥も狙えました。
こんなに長いズームレンズはあまり得意じゃないけどこのレンズはキリッと撮れるから結構楽しい。
画質良すぎて便利ズームの概念が壊れるレンズ。
朝のトイレに行くとピーピー。あれ…?
しかし昨日の夜には確認できなかった火口付近に雲がモクモクと…
こんな雲ひとつ無い空に火口だけにあるあの曇って…嫌な予感がします。
それでも開山時間になるまでどうなるかわかりませんので登山口まで行くことにしました。
上から見下ろす街が楽しい。川沿いに霧が流れているのがわかる。
山の上に月が見えた。
火山灰や壊れた建物がこの場所の過酷さを物語っています。
噴石があらゆる屋根と壁を突き破っているのがわかる。
登山口まで来ましたが案の定、火山ガス発生のため閉山…
現在は阿蘇山ロープウェー再建のために壊れた施設や建物を改修しているようです。
登山は火山ガスで登れませんでしたが、こればっかりは仕方ないです。またいつか登りにきましょう。
次の行き先を考えていると熊本放送局に取材されました。調光レンズの眼鏡をかけて紫外線の多い環境だったので眼鏡が真っ黒だったのを忘れて取材を受けてしまいました。怖い人だっただろうな…
とりあえず由布岳を目指して走りました。
由布岳も去年からずっと行きたかった山。
しかし移動中に身体中に寒気が走り、身体が重たくて動けなくなりました。なんだかお腹が痛い。
九重連山のススキをみたり歩いたりして身体を温めましたがこれはなんだかやばそうだと感じる。
(この時は氷点下の中走り続けたので低体温症とハンガーノックだと思ってました。)
由布岳に行く元気も湧かず、登山口の湯布院で休憩をすることに…
今日も山に登れなかったら果たしてなんの為にここへ来たのかいよいよわからなくなってきました。
動きたいのに動けない。お腹が痛いのでとりあえずトイレへ行ったり、動いて体を温めたり…
痛み止めを飲み何とかして原付にまたがり移動…
横目に登りたかった由布岳を見て…
次はいつ来れるだろうか。悔しすぎる。今回の旅は全然山登ってないぞ?
夕方、薄明かりの中フェリーへ
移動距離は少ないのにこの日が一番辛かった。
疲れてフェリーでは何もできず…
辛かったのは夜中にお腹が痛くて起きてトイレに行ったり…
あまりにも下痢気味なので低体温症じゃなくて食中毒?
自己診断では鹿児島で食べた鳥刺し…?潜伏期間も2−3日とドンピシャ。
更にバイクで体を冷やしたりして万全な体調でもなかった。ご飯も食べずにバイクで移動をして免疫力下がってた…?
考えるほどにカンピロバクターが濃厚です。
カンピロバクターは初体験なのでこれからどうなるやら…調べても「鳥刺しはやばい」というのもチラホラ。
11月5日【7日目最終日】
本来この日は仕事。しかし朝一起きて絶望する自分の体調の悪さ。トイレから出れねぇ…
とりあえず痛み止めと下痢止めで家までの帰路を繋ごう…
痛み止めや下痢止めは食中毒の原因となるバイ菌が排出されないので良くないらしいですが、原付にぶちまけながら走るわけには行かないので何としても家に帰らなければなりません…
オムツ履きてぇ
仕事の予定も全てキャンセルして、フェリーから家まで直行で帰りました。
カンピロバクターと一週間
カンピロバクター食中毒は初体験ですが死ぬかと思いました。
1日で体がぶっ壊れるていくのを体験しました。
鳥刺しを食べたのは11月1日の夜。それから3日目のお昼に寒気を感じ、その夜にはゲリ下痢。
しかしその時の体温は36℃だったので自律神経が壊れていたのかも…?今となってはわかりませんが…
全身が痛くて痛み止めを飲むしかありませんでした。
帰宅後は熱が40°まで上がり、上も下も大洪水です。体が痛くて動けないのにトイレまではって行って…
すべての動きがヨチヨチと動くのが限界。
何も食べれない。食べたらそのまま出てくる。でも何か入れないと体力無くなりそうだから何かを無理やり食べる。
何も動いてないのに疲れて眠くなる。お腹が痛くて目が覚めてトイレに直行する。
下痢は水分が大切だと聞いていたのでひたすらポカリスエットを飲み続けました。
4日目の朝1度下がった。
このままいったいどうなるのか…もう普通の生活には戻れないのか。カンピロバクター食中毒後はギランバレー症候群という神経病にもなる可能性があるという…怖すぎでしょ。
病院にも行き薬をもらい。食中毒による急性胃腸炎の診断。
熱は比較的4-5日で下がりましたが、下痢については一週間ずっと続きました。肛門が擦り切れるぐらいにヒリヒリになり。
赤、黒、緑、黄、信号レベルの色使いで便がでて止まらないんです…いっそ入院して看病されたい。そんなレベル。
便意と腹痛で夜中でも目が覚めたりするのが辛かった…一週間時間が止まっているように感じました。
もう二度と、鳥刺しは食べないと誓った旅となりました。
このご時世、体調を崩してかなり反省しました…
…ほぼ移動していただけなのでさらっと書いてますが。
寒さと風と臭いを感じながら走ったこの旅は今までで1番つらい旅となりました…
写真は無いけど指宿で買った鰹節を使っておでん🍢を作ってくれました。今まで食べたおでんで一番美味しかった。
鰹の出がらしはおかかふりかけにしてくれました。
読んでいただけるだけでも大変嬉しいです。もしご支援を頂いた場合は新たなチャレンジへ使わせて頂きます。