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自分の可能性をなめてはいけない~日本講演新聞

「感動」と「学び」を世界中に~日本講演新聞がお届けします。

 先日、大分で農業をやりながら講演や筆文字講座で全国を飛び回っている「たまちゃん」と久しぶりに会った。

 5年前に初めて会った時、「たまちゃん」はまだ「小玉宏」と呼ばれ、宮崎県教育委員会の中間管理職だった。ほどなくして彼はその「殻」を脱ぎ、「たまちゃん」になっていくのだが、今回は「殻」を脱ぐ前の話である。

 「変態とは彼のことを言うのだろう」と思う。そもそも「変態」の本当の意味を教えてくれたのは、かつて理科の教師をしていた「たまちゃん」だった。「変態とは生物学の専門用語で、幼虫がサナギに、サナギが成虫になることだ」と。

 小玉宏は高校1年の時、完全に落ちこぼれていた。やる気もなければ、向上心もなく、底辺でくすぶっていた。「おまえの眼は腐っとる」と生徒指導の先生から怒鳴られたこともあった。

 腐った目のまま高校3年生になった。新学期最初の全校朝礼で新しく赴任してきた先生が紹介された。その中に一風変わった先生がいた。新任なのに「おじさん」だったのだ。化学の先生だった。「私、右も左も分かります。皆さんよろしく」というあいさつが小玉宏の気を引いた。

 やがて受験のための補習授業が始まった。彼はその化学の先生の補習を受講することにした。ワクワクした。

 しかし、化学の補習授業はめちゃくちゃつまらなかった。淡々と説明するだけで冗談もなく、生徒はただ先生の板書をノートに写すだけだった。

 2週間が過ぎた頃、「明日からサボろう」と思いながら何気なく化学のノートを見直していたら、あることに気付いた。問題が違うのに解き方のパターンが全部同じだったのだ。咄嗟(とっさ)に机に向かって化学の問題に取り組んだ。すると今までできなかった問題が面白いように解けた。2か月後、化学だけ学年トップになった。

 それからというもの、その化学の先生に憧れるようになった。ある日、先生に出身大学を聞いたら、「広島大学」と言われた。それで志望校を広島大学にした。担任の先生に伝えると、「ふざけるな」と言われた。高校3年の9月のことだった。

 広島大学の化学系の定員は12名だった。全国模擬試験の結果、86人が同じコースを志望しており、小玉宏は86人中86番目だった。「5000人中5000番目だったら諦めるけど、80人くらいなら抜けるんじゃないか」と思った。それから半年間、死に物狂いで勉強した。

 合格発表は高校からの電話だった。掛けてきたのは「おまえの眼は腐っとる」と怒鳴った、あの生徒指導の先生だった。「おめでとう」と言った後、先生は電話口で男泣きに泣いた。

 時は流れ大学2年の秋、教授から「大学院に進んで研究者になるか教師を目指すか決めなさい」と言われた。迷った末、高校の時に自分の進路に影響を与えた化学の先生に相談しようと思い、帰省した。

 高校に先生を訪ねると、「2週間前に亡くなられました」と言われ、驚いた。話を聞くとこういうことだった。

 あの先生は化学関連企業の技術者だった。ある日、会社の健診にひっかかり、末期がんを告知された。すると「若い世代に化学の素晴らしさを伝えるために残り少ない人生を使いたい」と言って退職し、教員採用試験を受け、高校の先生になったのだった。「先生は命の使い方を見つけたのだ。先生の思いを受け継いで理科の教師になろう」、小玉宏は決心した。

 というわけで、彼の最初の「変態」は落ちこぼれから理科の教師になるまでの話。次なる「変態」はその20年後、退職して全国に羽ばたく「たまちゃん」になる話なのだが、それはまた別の機会に…。

 変態とは、ある一定の期間を過ぎると、同じ生物とは思えないほど、とんでもない姿になること。生命の中にはそんな可能性が潜んでいる。昆虫の話ではない。人間の話である。たまちゃんは言う、「自分の可能性をなめるな」と。

(日本講演新聞 2707号 魂の編集長 水谷もりひと社説より)


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