この文章の中の「私」はカフェに居て、いつも通うこのカフェに入った早々、この日は店内の「不潔さ」に吐き気がしてくる。店内に居る客等の身なりや態度もそうさせている。「私」が吐き気を抱えながらコーヒーを飲んだあと、給士女にレコードをかけてもらったときの内容である。
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私は、ここに出てくるジャズに対しては、こういった感覚はないが、テンポの速いロックのドラムやテクノ、和太鼓の音にこの文章と同じ感覚がある。
音楽の音が現れた先から、次々に音が失くなっていき、同時に自分の中のモヤモヤしたモノも一緒に消失させてくれる。
自分の空間を割いて、音楽が自分の中に「有る」ものを持ち去って行ってくれるのだ。
この<吐き気>は私と似た種類のものにも感じるが、まだそこははっきりはしていない。
しかし、私は、この「私」のように吐き気を催したときに音楽を聴いたことがなかった。是非今度試してみようと思う。
J-P・サルトル『嘔吐』は、ノンフィクションでしょうか。分かりませんが、ジャンル的に哲学でもあり、日本でいう「文学」にもなりますね。きっと。
文学は哲学より苦手ですが、吐き気の原因とその共感性を発見していきたいです。