見出し画像

政治とか人生100年時代とか

 今朝、衆議院補欠選挙の結果をネットニュースで見て「…ですよね。」との感想しかない。それより、投票率の低さに驚く。この期に及んで投票に行かない…って不思議に思う。みんな政治に無関心で居られるほどゆとりある暮らしをしているのだろうか?私なんか臆病者だから、この先の社会が怖くて、怖くて、仕方がない。

 しかも、最近よく耳にする『人生100年時代』なんて言葉も怖くてたまらない。この言葉も人生100年時代に絡めて、年金支給開始を70歳、75歳にして、高齢者を低賃金で長く働かせるためだろうな…と、そこら辺に居る主婦の私でも直ぐに気付いた。高額な先端医療の恩恵を受けられる富裕層には来るであろう人生100年時代は、庶民にはきっとこない。私の同世代も、働き疲れてヘロヘロの50代ばかり。実感として、到底100歳まで生きられるなんて思えない。身体を支える食べ物だって、生活費を節約するため、安価な添加物まみれの食品を手に取ることも多い。しかも、これからの超高齢化社会に向かって医療制度も変わるだろうから、そう簡単に希望した治療を受けることも出来なくなると思う。働いて、働いて、働いて70歳位で娑婆から足抜け…となるのが容易に想像できる。

 人生100年時代なんてキャッチフレーズを広めて、御用学者の力も借り、しっかりと空気感を作るところから始めるのも大きな数を動かす時の常套手段だよな…とも思う。利権屋としか思えない政治家と、何かと〇〇すれば、ポイント付与、旅行券とか、『言うことをきけばくれてやる』という政府がタッグを組むこの日本はこの先どうなるのだろう?

 そして、歴史学者の磯田道史さんが以前YouTubeで政治家について話していたことを思い出した。

政治家なのに国民の敵・味方識別をやる人が出てきた。あれはいけません。政治家は何党にいても国民は全て自分の国民だと思って下さい。自分と同じ考えの国民だけが可愛い。自分と同じ考えの記者だけが可愛いと思うのはいけない。江戸、明治、大正、昭和戦前期までの政治家は一度政治の柄をとったらそのようにしなければならいという帝王学のようなものがあったけれど、今はそれが無い。国民は皆の国民。メディアは皆のメディア。政治家になった以上は自分の都合の悪いことを言われたからと訴訟で訴えるとかはしてはいけない。

 ホントこんな時代になっている。SNSで自分に都合の悪い国民を容赦無くブロックする政治家も居るし…。批判に晒される自分を晒すことのできない人が政治家で居るのは残念。そういう姿も含めて全てを開示し民意を問うのが政治家では?

 親がこの子は可愛いけど、あの子は可愛くない…なんて振舞いをしてはいけないように、政治家も国民に対して全て自分の国民といった振舞いをして欲しい。『やっぱり、選挙には行かないと!』と改めて思った月曜日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?