明日は母の日
自分が50歳を過ぎても母が元気で居てくれるのは本当に有難いと思う。控えめに『亭主関白』と言っておくけれど、そんな夫を持った母の結婚生活は大変なものだったと思う。子供の目から見ても『散々…』としか言いようがなくて、いつも母に対しては可哀想という思いが強かった。そして、子供の残酷なところなのか、口にはしなかったけれど内心、母に対して『あー、私の人生じゃなくて良かった。』とも思っていた。
大好きなカールを食べながら、テレビで大好きな『ガンバの冒険』の再放送を見ている私の隣りでアイロン掛けをしていた母がフッと目に入ったとき、『あー、私の人生じゃなくて良かった。』と思った。
庭先で小学校での縄跳び大会にむけて縄跳びの練習をしている私の前を横切って夕飯の買い物に出掛けていく母の横顔を見たとき、『あー、私の人生じゃなくて良かった。』と思った。
居間から、父と母の間での物騒な声や物音が延々と聞こえてくるなか、寝床で人差し指で耳を塞ぎ、真っ暗な天井をジッと見つめ『あー、私の人生じゃなくて良かった。』と思った。
そんな自分も傍からみれば『あー、こんな子供時代じゃなくて良かった。』と思われることだろう。そこが子供の浅はかさと、たくましさ。どこか利己的で他人事に出来る目があったお陰で無事に大人になれたのかもしれない。これが無防備に心優しい子供だったらどうなっていたのだろう?と思うことがある。
こうして母に対しては複雑な思いがあったけれど、今となってはコレも人生だよな…と思うようになった。幸せに暮らすだけが人生ではないし、切り開く力を強要される筋合いも無い。人生なんて時代と環境の産物でもあるしね、とも思う。
昭和の時代に母親を経験した人は、少なからず家父長制とか男尊女卑とか良妻賢母とか、何かしらこの時代の空気を身に纏っている。そして私は、母の姿を通して不条理というものを、社会にでるズッと前に学んだ気がする。私にとって母は優しいとか、辛抱強いとかを越えて、何か人としての一切合切を背負い込んだような重量感のある存在だった。私はこの重さに育てられたようなところがある。いつも予期せぬ出来事にコロリと負けてしまうけれど、そこからのしぶとさは母からの贈り物だと思っている。今なら『弱いまましぶとく生きるってのもアリだね。』と2人で頷きあえると思う。母と娘ってこうして密かに螺旋して繋がっているみたい…。
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