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おこりだいまじん

話は中学時代の友人のH君がリアルホビーだか海洋堂だかビリケン商会だかの大魔神を入手したことから始まります。
H君は手先が器用な人で模型作りでバルサで1mの戦艦大和を作ったりガチャポンで入手した消しゴムフィギュアを着色したりミクロマンを改造してフル稼働のガンダムを作ったりする人でした。
宇宙船の大魔神フルアクションモデル制作の記事を見て型取りしてアニメモデルを作ったH君はこれで何か作れないかと兄に8ミリカメラを貸してくれないかと相談に来ました。
兄は高校の後輩になるH君に喜んでカメラの他に編集道具一式を貸したのですが、二ヶ月後にフィルムが出来たというので上映会を行ったところ映っていたのは、山口勇子の「おこりじぞう」を原作に人形アニメにした翼プロダクションの「おこりじぞう」をネタにして地蔵様を大魔神に置き換え、原爆で少女が水を求めて死んで怒って崩れる地蔵を武神様が怒って大魔神になって赤い球になって飛び立つまでに置き換えて描いたものでした。これを広島国際アニメーションフェスティバルに出品するというH君を、みんなで止めて「おこりだいまじん」は飛び立って「終」を付けて文化祭で上映しようということでお開きになりました。結局H君は広島アニメーションフェスティバルには出品しなかったようです。H君はその後も兄にカメラ借りては「ゴジラ対大魔神」とか撮ってたみたいです。その後H君は、大学卒業後に就職で千葉の柏市に移住しました。以後はワンフェス等首都圏のイベントで、たまに会う付き合いを続けています。
下の画はH君がこの作品もとに描いた同人誌の主人公の少女と母親のワンシーンと大魔神(宇宙船VoL8の開田裕治さんデザインの大魔神をH君がアレンジしたもの)と広島原爆写真をコラージュしたものです。当時は同人誌の少女や母親のデザインに「戦時中にそんな格好するか?」とか言われていたけどH君は「自分の祖母の写真だからこれでいいのだ」と譲りませんでした。アニメ映画「この世界の片隅に」とか見ると、原爆投下前の戦時中の広島でもこのくらいまでは許されてたんだなと思いました。「はだしのゲン」の漫画に自分たちは毒されてたようです。でも学級文庫に4巻まではあったし、別の友人A君の家には週刊少年ジャンプも別冊少年ジャンプもあったんで、みんな小学校低学年や幼稚園時代から「はだしのゲン」をリアルタイムで読んでたんで仕方ないよね。身体が不自由な人被爆者の人やケロイド跡のある小学校の先生とかいた時代だったからなあ。

大魔神はモデルアニメ 登場人物は紙アニメ 原爆は特撮 最後の光の球は吊り
で本編では表現されています




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